2016年5月29日日曜日

書肆ゲンシシャは国会図書館へのアンチテーゼ

 こんにちは。Ryuugokuです。
 今回もまた、ゲンシシャの構想についてお話したいと思います。
 
 私は前々回の記事で「驚異の部屋」を作ると宣言しました。
 その第一フェーズとして、Twitter上に「驚異の陳列室」(https://twitter.com/wunderkammern)を立ち上げました。
 ここでは国会図書館に所蔵されていないものを中心に稀覯本を表紙の画像付きで紹介しています。なぜこの形式を採ったのかは前々回の記事を見てもらうとわかるので省略し、今回はその第二フェーズとしての「書肆ゲンシシャ」について語ります。

 私は本職をマンガ研究者として過ごしています。
 現在、安倍麻生その他の政治家によって声高に叫ばれているように、「クールジャパン」が日本では流行っており、それと連動する形で、各大学にマンガを研究、あるいは表現技法を学ぶ学部やコースが新設されています。(実際のところ少子化で学生を取り込みたい大学側のイイワケにすぎないわけですが)
  私は幼い頃からマンガを描いていましたが、どうも絵が下手で、結局脚本のみを担当するような形になりました。けれどもマンガに対する愛情だけは人一倍強い、なにしろ一日に大量のマンガを読む、これは中毒です、もはやマンガを読まなければ精神錯乱状態に陥ってしまうからです。

 少々前置きが長くなりましたね。そう、そうしてマンガ研究者として過ごすうえで、私は特にそのマンガの歴史を顧みる作業をしていたのですけれども、国会図書館には、マンガ、中でも中小出版社が出すようなマンガの単行本や雑誌は置いていないわけです。
 そして、最初は蔵書数や洗練されたシステムに圧倒されたものの、国会図書館には弱点があることに気がついたのです。

 そこから、国会図書館のデータベースをチェックしながら、国会図書館に所蔵されていない本を蒐集し始めました。 実際やってみるとわかるのですが、エロ関係の本はほとんどないですね、あそこには。図書館側がどうでもいいと思っているのか、それとも出版社側がアウトローなのか。

 そうこうするうちにエロ・グロ関係の本がたくさん手元に溜まってきたわけです。
 それを「驚異の陳列室」で少しずつアップしてきたのですが、どうでしょう、みなさん、こうした本は実際に手にとって見たいものではありませんか。
 そこで私は別府の地に国会図書館へのアンチテーゼとして「書肆ゲンシシャ」 を立ち上げたのです。ここで、国会図書館にはこれだけの本が所蔵されていないのだぞ、と言うと共に、ふむふむ、こうした本が蔑ろにされてきたのか、と暗い隙間を覗き見る感覚で、ゲンシシャにある本を見ていただきたいのです。

 最近では蒐集家としての欲望が先走って、生写真や直筆原稿などの一点ものにも手を出しているのですが、この最初の思いつきは忘れないでいたいものです。

 国会図書館に、国に、見向きもされなかった本に視線を向ける。反政府などと大げさなことは言いません。静かにそうした本の重要性を語っていきます。

2016年5月7日土曜日

書肆ゲンシシャ/幻視者の集い 開設にあたって

 私は、2016年2月29日、うるう年の四年に一度の日に書肆ゲンシシャを別府の地に開店しました。今回は、このゲンシシャの構想についてみなさまにお知らせしたく更新いたします。

 4月14日、熊本地震が発生し、別府でもこれと連動した揺れを感じました。
 私はすぐさま東日本大震災の記憶を呼び起こしました。
 これだ。この揺れだ。
 この揺れは私のトラウマであると同時に、楽しみでもある、と。

 書肆ゲンシシャのコンセプトのひとつにエロ・グロ・ナンセンスを挙げています。
 昭和初期、人々はカッフェや町のあちこちで、女性の体を触ったり、いやらしい小説や写真を蒐集、鑑賞していました。
 なぜそうしたことが起きたのか。一般には、世界恐慌や関東大震災で無力感や倦怠感を味わい、刺戟が欲しかったのだと言われています。
 けれども私は思うのです。関東大震災で、火災旋風を見て、数多くの死体を眼にした人々は、あの揺れをもう一度味わいたい、あのスリルを求めて、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる風潮を広めていったのではないでしょうか。
 そしてそれが猟奇的なものを、エロを、グロを、そして馬鹿らしい、空虚さを世の中に広め、受け入れられていったのではないでしょうか。

 私も思うのです。
 もう一度大震災の刺戟を味わいたい。
 時には苦痛さえも人間にとっては快楽になり得ます。
 グロ画像を見て、グロい動画を見て、ほらどうでしょう、津波で流されていく車、明かりが消えると人が死んだのがわかります。あのテレビの映像を見て、人々は刺戟を受けました。言葉では言い表せないほどの強い刺戟を。そしてまた刺戟が欲しい、まるで麻薬のように、刺戟を求め始めます。

 4月の熊本地震によってこうした私の妄想は、もはや確信へと変わりました。
 世界は不況です。かつて日本をリードした電機産業や、三菱ですら苦しい、みな苦しい、一歩間違えば、「贅沢は敵だ」というかつてのフレーズを繰り返しかねない。
 アメリカではトランプ氏という得体のしれないデマゴーグが、大統領になろうとしている。きっとアメリカ人も苦しいのだろう。そして、トランプ氏なら世界を変えてくれるかもしれない、藁にもすがる思いとはこのことか。
 日本人も苦しい。消費税増税に、安保法案をめぐっての意見の対立、私は国会図書館に通う道すがら、安倍首相に対して辛辣な言葉をぶつける人々の声を毎日のように聞いていました。
 苦しいのが、怒りに変わる。爆発しそうだ。どうにかなりそうだ。
 そんな時、エロは、グロは、空虚は、鎮静剤になります。
 そうだ。あの刺戟さえあれば、世界は平和になるかもしれないぞ。

 私は狂っているのでしょうか。いや、トランプ氏や安倍晋三を祭り上げる世の中が狂っているのか。私に出来ることは、刺戟に飢えた人々に、飢え死にしそうな人々に、鎮静剤を打ってやること、ただそれだけです。

 世界を平和にするために、私はエロ・グロ・ナンセンスの文化を今ふたたび、世の中に広めていきます。