2016年6月14日火曜日

日常という名の夢

 これから書くことは私の日常です。東京で過ごすうちに遭った出来事、その一部です。
 しかし、これらは今の私にとっては夢のような出来事です。本当にあったのかもわからないような。
 こうした物事を書くきっかけとなったのは、昨日の安倍首相による別府駅前の街頭演説です。
 そこで 私は思い出しました。かつて東京で起きたこと、出会った人々、現在住んでいる別府では想像できない奇遇な出来事の数々を。

 私は別府で生まれ、思春期を寮の中で過ごしました。寮にはパソコンや携帯電話を持ち込むことができず、テレビすら百人いて一台だけ。まさに外界から閉ざされた環境で育ちました。
 中でも思い出深いのは、アメリカ同時多発テロ事件。テレビがない状況で、ラジオにかじりついて何が起こったのか、懸命に把握しようとしていました。

 東京に出ると、私の生活環境は一変しました。
 それには私の親族による影響が大きかった。
 私の叔母は品川区の池田山という高級住宅街に屋敷を構え、新橋などにビルを所有する富裕層でした。かくして私自身も代々木上原というハイソな住宅街の、ユニクロの柳井正会長の家の近くに住んでいました。
 叔母が案内してくれた人々、その方々はまさに東京の上流階級で、別府とは比べ物にならない裕福な生活に目が眩む思いでした。
 私は大学で法学を、特に憲法学についてまなぶ学生でした。中学から敬愛していた澁澤龍彦の「悪徳の栄え」事件は中でも私の興味を惹く判例でした。
 そこから表現の自由とは何か、という問いが生まれ、やがて当時世間を賑わせていた児童ポルノ禁止法について知りたいと考えるようになりました。

 そこで、奇遇にも私の叔父が秘書を務めていたことから、当時の、小泉内閣の法務大臣である森山眞弓議員と会う機会に恵まれたのです。森山議員は児童ポルノ禁止法に関して尽力されている方で、ぜひ会っておきたい人物でした。
 議員会館で森山議員と出会った時、私は肩書で人を判断する人間ではありませんが、この方にはどうしても敵わないと直感的に感じ取りました。 その雰囲気、眼力、容姿すべてにおいて圧倒的な存在感があるお方でした。女性初の官房長官を務め、女性初の総理大臣かと言われたこともあるお方とはその一回きりの交流でしたが、大変貴重な体験になりました。

 それは同時に政治力に取り憑かれた時期でもありました。叔母と同じ池田山の、叔母の友人にあたる方のご子息が菅直人議員のやはり秘書を務めていた関係で、図らずも、自由民主党と民主党の共に執行部にあたる方々の言うこと、為すことを身近に感じられた幸運な日々でした。
 そこでは、 ネット上ではやれ自民が、民主がと言うものの、実際は自民党も民主党も上流階級の方々を通して交流をもっている、比較的友好的な関係を築いているということを知りました。
 また、それほどまでに力を持っている東京の上流階級の恐さを実感する日々でもありました。

  池田山と松濤にお住まいなのは、政治家、芸能人、芸術家、宗教関係などそれぞれのトップに君臨する方々とそのご子息でした。そこでは学歴も関係ない、とは言え、学習院や日本女子など一定の知名度と難易度をもつ大学に通われていましたが、まさに天上人のような生活を送ってらっしゃるのです。ご子息たちは幼い頃から茶道、華道、着付けを習い、しかるべき家の妻になるべく花嫁修業を小学生から始めていました。

  そうした生活を送るうちに、私は驕ってしまいました。まだ大学生の青二才、仕方がないことかも知れませんが、自分の力でもないのにそうした人々の中で暮らすうちに、感覚が麻痺してきたのです。

 私は私自身の力をつけるために、故郷の別府に戻ってきました。確かに東京に残り、人脈を活かした仕事をするのが器用な生き方というものでしょう。しかし、あくまでも不器用に、自分の信じる道を貫き通したくなったのです。その「自分の信じる道」についてはまた日を改めて書きたいと思います。

 自分語りが長くなりました。どうかご容赦を。