2016年11月14日月曜日

平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか

 書肆ゲンシシャはテーマの一つにエロ・グロ・ナンセンスを掲げています。
 これは昭和初期、世の中の風紀が乱れ、カフェーでは男たちが若く健康的で明るい女性を見て憂さを晴らし、巷ではエロ小説が溢れていた時代「昭和エロ・グロ・ナンセンス」の時代と、現代とが似ている、すなわち今は「平成エロ・グロ・ナンセンス」の時代なのだという私の仮説をもとにしています。
 今回はこのことについて語りたいと思います。

 昭和初期、世界大恐慌とそれに追い打ちをかけるように発生した関東大震災の発生によって、人々は疲弊し、閉塞感が世を支配していました。人々は明日どうしようか、と考える気にもならず、今さえ良ければよいという発想から、刹那的な享楽に身を委ねるようになったのです。
 当時は同時に地下鉄が走り始めるなどモダニズムが世の中に広まっていた時期でもありました。そして、 カフェーなどでこれまで家の中にいることがよしとされてきた女性たちが働き始めた、すなわち女性の社会進出にも繋がる時代でした。
 そうした中、梅原北明、江戸川乱歩、酒井潔といった現代の澁澤龍彦に連なる(このことについてはまた日を改めて)出版人、作家、翻訳者たちが現れ、文学でも低俗とされていたエロ小説が跋扈するようになります。

 同時期、アメリカはどうだったかというと、狂騒の20年代といいまして、第一次世界大戦が終結し、ニューヨークがロンドンを抜いて世界一の都市になり、自由な風潮が世に広まっていました。黒人差別などもいったんは影を潜め、ジャズが流行り、セクシャルマイノリティがマンハッタンを自由に歩ける時代が来たのです。
 けれども、悲しいかな、世界大恐慌から抜け出せなかったアメリカは、現代、トランプ大統領が求められたように、保守的な、世の中を変革してくれる強力なリーダーシップを求め、その後差別がふたたび世の中に広まることになるのです。
 一般論として、人間は窮すると保守的になるのです。

 さて、日本ではどうだったかというと、ハリウッド映画の輸入も旺盛で、アメリカにあこがれていた日本人たちはまたアメリカと同じ道を辿ります。
 「昭和エロ・グロ・ナンセンス」は、満州事変とそれに伴う内務省による締め付けの強化によって終わってしまうのです。
 それ以降はもうみなさんご存知のように、大日本帝国は戦争の道へとまっしぐら、突き進んでいってしまう。

 では、現代の平成の世はどうか。
 リーマンショックが株価を下げ、景気全体を押し下げたまさにそのショックから世の中は立ち直れず、さらに追い打ちをかけるように東日本大震災が発生し、津波が押し寄せ、死体が山のように築かれるショッキングな映像がお茶の間に流れました。
 そして、これは世の常なのですが、エロ・グロ・ナンセンスはそれまで低俗とされてきた場所で花開く。
 それが今回はアニメ・マンガだったのではないか。
 『PSYCHO-PASS』や『甲鉄城のカバネリ』に描かれた悲惨な世界、血しぶきがあがり、人と人が殺し合う世界。映像技術の発展もあって、残酷描写が増えました。
 マンガでも『進撃の巨人』などのいわゆるサバイバルモノ、生き残りをかけて命がけの物語が展開されるようになってきたのです。
 また、アートの世界でもこれまでにないほどのアウトサイダー・アート・ブームが訪れています。基本的なアール・ブリュットの意味を間違えるかたちで障害者アートが世の中に広まってきているのです。トランプ氏がアウトサイダーと呼ばれていたことを思い出します。世間は、これまでとはちがった、珍奇なもの、アウトサイダーを強く欲するようになってきているのです。
 また、慶応の法科大学院生が起こした弁護士の男根切断事件も記憶に新しい。

 そして、LGBTの人権がこれほど声高に叫ばれている。レインボーパレードに私も参加してみて、その力強さに驚きました。そして、安倍首相が推し進めようとしている男女平等、男女均等の言葉。

 考えすぎでしょうか。「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と現代とが不思議と似通って見えるのです。
 ポケモンGOといった新しい製品に世の中は驚き、またJ-POPでは懐メロが流行っている。
 次第に文化自体が懐古主義にとらわれ、縮小、衰退しつつある。
 珍しい、一過性のネタが巷にあふれ、ものすごい勢いで消費されていく。ピコ太郎も言ってしまえばそのひとつ。
 刹那的な享楽をみな楽しんでいる。

 こうした動きには必ず反動が来ます。トランプ大統領がそうだと決まったわけではまだありませんが、保守的な政治家が、あるいはかつての軍部のようなものが、これはイカン、ということで幅を利かせる時代が必ずやってきます。
 それがいつかは今の私にもまだわかりません。
 「平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか」今回のブログの題に対する答えはまだ持ち合わせていません。けれど、「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と照らし合わせた時、終焉はもはや目前にまで迫っている、そんな気がするのです。
 将来「平成エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれるこの時代を今のうちに謳歌しましょう。そして、備えましょう。
 閉塞感に耐えきれなくなった人々の不満が爆発する、その日に。