2017年12月22日金曜日

文化におけるローカル

 大分は異国の地だ。
 東京、いわば”中央”とは異なる文化圏が築かれている。
 例えば、東京では昼間から女性が真っ裸で歩いていると、公然わいせつ罪で捕まえられることがニュースになったとき、別府では多くの人々が驚いた。別府においては温泉(100円で入れる市営温泉)に入ったあと、女性が胸をさらけ出してタライを持って町を徘徊する光景が、日常的に見られるからだ。といっても、下町のエリアに限られる話だが。
 温泉絡みでいうと、別府に300円で入れるサウナ付きの銭湯が出来たとき、誰もが訝り、その通り、数ヶ月で潰れてしまった。別府市民にとって、銭湯に300円も払うのは、「高い」のだ。100円、もしくは常連ならばタダで入れるのが当たり前。それが別府における銭湯なのだ。

 それと同じことが、文化の面でも言える。
 大分には、大分合同新聞、もっといえば、別府ローカルの今日新聞がある。
 テレビ局でいえば、別府ローカルのとんぼテレビがある。
 これらに出演、もしくは執筆している文化人がたくさんいて、まさに大分では有名人ということになっている。
 驚くべきことに、単行本でも、九州、もっといえば大分でしか売られていない本というものが一定数存在していて、その作者は文字通り地元の名士だ。
 別府市長が「湯~園地」という頓狂な企画を打ち出したとき、その完成予想図を描いた画家の勝正光さんは、別府をアートで町おこししようというアート系NPO「BEPPU PROJECT」が運営する清島アパートに住む人で、同アパートの中でも大御所、最長老なのだ。
 と言っても別府以外の人には通じないのがなんとも悲しい所。
 そもそも別府が「温泉の町」以外の付加価値をつけるために「アートの町」として広報活動をおこなっていることを一体どれだけの人が知っているのだろう。そのために、毎年膨大な額の補助金を支払い、町をあげて「アートの町」になるよう力を注いでいる。
 けれど、隣の大分市の住民ですら、「まさか、別府がそんなことを?」と驚いてしまうこのローカルさが悲しく、それを通り越して愉快になってくる。
 別府には、東京で言えば新宿眼科画廊あたりで活動していたアーティストたちがたくさん移住してきて、作品を発表している。
 さらに言えば、別府地元民(こちらも下町エリアに存在するのだ)が、よそ者扱いしてそうしたアーティストを排除しようとしてしまうところも、なんとも苦いところだ。
 別府市内部ですらまとまりに欠ける。別府は昔から抗争の町で、暴力団が縄張り争いでドンパチやったものだが、今でも政治、文化、あらゆる面で争いが続いている。たとえば、市立図書館を建て直すのに、場所を決めるだけですでに三年ほど浪費している。

 話が逸れた。
 東京にいるとき、友人が、東京一極集中で、地方の文化なんて消えてなくなりそうだよ、と笑っていたが、そんなことはないと、今でなら、自信を持って言える。
  大分では売れる作家、大分では売れる画家、大分では人気がある芸能人、大分では売れるお菓子、大分でのみ通じる言葉、大分では当たり前で他所ではそうではないことが、まだまだたくさんあるのだ。
 別府で、リフォーム会社に家を頼むとする。すると、ずっと連絡がつかず、事務所に電話をかけても留守番電話でつながらない。それがある日、向こうから電話がかかってくる。今からお伺いしてもいいですかね、と。断ると、つれない野郎だと悪評が立つ。
 都会ではありないでしょ、ということが山ほど起こる。
 だから別府は面白い。

2017年12月5日火曜日

今まで蒐め損なった後悔の品々

 「驚異の部屋」として運営している書肆ゲンシシャ。
 日々コレクションを蒐集し、陳列品は増えています。
 
 今回は、これまで、どうしても欲しかったのに、入手できなかった、そんな品について、リストにしてここに記しておきたいと思います。

①高村光太郎の智恵子について詠った直筆原稿

 高村光太郎の『智恵子抄』で知られる、高村智恵子こそ、私が思い描く「幻視者」のイメージです。病におかされ、幻覚の中で、自殺未遂をし、肺結核で亡くなった智恵子。光太郎の詩を通して見る彼女は、あまりにも繊細で、儚く、そして幻想的な存在です。
 そんな智恵子について高村光太郎が詠った直筆原稿を見かけました。智恵子が病床で「やがてこの世がひっくりかえる」(記憶が曖昧)と繰り返し語っている姿を書き留めた詩で、なんとも不穏な雰囲気に包まれている。
 この詩は、ゲンシシャにふさわしかった。

②水木しげるの貸本時代について回想した直筆原稿

 数々の妖怪を描いた水木しげるもまた、「幻視者」です。壮絶な戦争体験と、その後遺症の中で妖怪を描き続けた水木しげる。彼が、貸本時代の苦しい生活について記した直筆原稿がありました。原画ではなく、随筆だったので、比較的安かったのですが、買おうか迷っている内に水木しげるの訃報が飛び込み、するとすぐさま売れてしまいました。

③終戦後の沖縄で米兵に身体を売っていた女性たちの古写真アルバム

 従軍慰安婦など、たびたび問題になっていますが、私が見かけたのが、沖縄がアメリカに占領されていた頃、米軍兵士に身体を売って生計を立てていた沖縄人の女性たちの生々しい古写真アルバムです。アメリカ人が残したもので、裸で上目遣いにこちらを見つめる女性など、インパクトが強い写真ばかりが集められていました。 この記憶もまた、歴史上隠蔽されてきたものです。こうした歴史を見つめ直す場所としてゲンシシャは機能しています。そのためにも、置いておきたかった。

④頭が亀頭のかたちをしており、股のあいだに女陰がある、招き猫のような彫像

 吉原で使われていたものと説明されていましたが、真偽のほどはわかりません。頭が亀頭で、股のあいだに女陰がついているというなんともグロテスクな形状をしています。それでいて、招き猫のように右手をあげているのです。サイズはかなり小さく、かわいらしくも見えます。 まさに珍奇な逸品でした。

 他には、⑤ひとつの振り子でふたつの文字盤を動かすことができる大正時代の掛け時計、や、⑥沖縄で戦死した人たちをうつした古写真アルバム(しかも詳細なキャプション付)、⑦澁澤龍彦による『ポトマック』直筆翻訳原稿・一冊分揃い、などなどぜひ欲しいものはたくさんありました。

 コレクターにとって、欲しかったのに逃してしまった品物は、悔やんでも悔やみきれません。 ということで、ここに記して、ひとまず諦めることにいたします。
 付け加えると、これらの品は、ゲンシシャを開店してから、二年間のうちにすべて見かけた品なのです。ネットや骨董市をくまなく探し歩けば、二年間でこれだけの品物が探し出せるのです。
 本当に便利な世の中になりました。

2017年12月2日土曜日

ゲンシシャが別府にある理由(夢想家として)

 ゲンシシャがなぜ別府にあるのか。
 その理由を、幻視者、あるいは夢想家として述べたいと思います。

 私はもともと中高時代を松山で過ごしていましたが、東京に行きたい、住んでみたいと思っていました。その理由は、ごく一般の、東京に対する憧れや、成功したいという思いからではなく、東京にいると、死ねると思ったからです。
 中高時代の、狭い寮生活で、私は心を病みながら過ごしていましたが、その時に見た幻視が、滅びゆく東京の光景でした。
 なぜかしら、東京が関東大震災、あるいは津波、もしくは外部からの攻撃によって滅びる、そんな強迫観念に取り憑かれていたのです。
 ですから、東京にいれば、刹那的な享楽に身を任せながら、滅びの中に突き進んでいける、そのような淡い期待がありました。
 とは言え、いざ上京生活が始まると、関東地方では、東日本大震災の前から小刻みな揺れが続いており、なるほど、この街は常に危険と隣り合わせにあることが身をもって実感できました。
 死を常に身近に意識しているからこそ、こんな風に生を謳歌できるのだろう。それが私が出した結論です。

 物質的にではなく、精神的にも、リーマン・ショックや、秋葉原通り魔事件など、東京にいると身近に、田舎ではありえないような凄惨な出来事が続き、テレビやネットを通さずとも肌身に感じられて、そうしている内に恐怖に慣れてくるのです。

 最初は歌舞伎町に入ることさえ怯えていた上京者の私でしたが、気づくと、東京の闇の部分が心と身体に浸透し、病みつきになっていくのが、自分でもわかりました。
 高田馬場や新宿で、豚の性器やウーパールーパーを食べながら、刺激が欲しくてたまらない、その衝動が強くなっていきました。

 そうこうしている内に起きた東日本大震災は、こう言ってはなんですが、私に強く生きる力を与えてくれたように感じます。今まで味わったことがないような刺激、テレビ画面を通して見る惨状、一変する日常。その中で爽快感すら覚えました。
  それに続く原発事故と、連なるように恐怖が身に降り掛かってきます。そうして、生きたいという強い希望と、どうせ死ぬからいいという刹那的な感情とが、内側に増幅されていったのです。

 それはやがて限界を迎えました。私は、病んでしまったのでしょうか、気がつくと死の強迫観念にますます支配されることになりました。原因はわからないものの、次の瞬間に死ぬのではないか、漠然とした、「ぼんやりとした不安」に駆られてしまったのです。そして、それに伴い、生への欲望も、なお一層強くなっていきました。

 今は、北朝鮮のミサイルという新たな脅威が生活を脅かしています。 きっと、東京に居続けた場合、私はその不安に耐えられなかったでしょう。
 今でも何らかのかたちで東京が滅びるという幻想が、私を支配しています。
 そして、廃墟となった東京を、ふたたび再興するために、別の場所に保管場所を作らなければならない。
 ゲンシシャは東京の文化をそのまま別府の地に持ってきたものです。

「生きたい」という欲望が、別府に私がいる理由です。おそらく東日本大震災以降、移住してきた多くの人もそれは同じなのだと、今では思います。
 生と死のバランスがとれ、強迫観念から解放される日のことを、祈りながら、けれども、その日が来ることを怯えつつ、今を過ごしています。

2017年11月14日火曜日

「別府大分芸術祭」に寄せて

「4人の幻視者たちがアートで激突!」

 湯けむりが幻視へといざなう魔術都市・別府にて
 若い創作者たちの情熱が糸のように紡がれ
 歴史を秘めた公会堂に集い、新たな交響曲を奏でる

 書肆ゲンシシャに縁がある人々で結成された「幻視者の集い」が、別府市公会堂にて「別府大分芸術祭」を開催する運びとなりました。
 メンバーは、書肆ゲンシシャ店主・珍奇コレクターの龍國竣、点削画家の塚崎司孔、創作人形師の坂口愛子、油彩画家の新宅和音です。
 舞台となる別府市公会堂は、神澤又市郎初代別府市長の発案により、吉田鉄郎設計のもと、昭和3年に建設されました。吉田鉄郎(1894~1956)は、多くのモダニズム建築を設計し、東京中央郵便局など、逓信建築の先駆者のひとりとして知られています。平成28年4月1日にシンボルであった正面階段を復元し、リニューアルオープンしました。
 このような歴史ある、別府の象徴とも呼べる建物に、大分県内で活動する若い才能の結晶が集います。
 龍國竣は、幻想文学や絵画を研究、紹介すると共に、古今東西の珍品を蒐めながら、東京や大阪で講演活動を行っています。大分県別府市出身、在住で、「驚異の部屋(Wunderkammer)」として、書肆ゲンシシャを青山町にて運営しています。
 塚崎司孔は、独学にて点削画を確立し、相次いで作品を制作しています。針を使って点単位で削りとることで花魁や力士、武士などを「クールJAPAN」をテーマに描き出しています。大分県出身、宇佐市に在住しながら、韓国やドイツで作品を発表しています。
 坂口愛子は、四谷シモンに師事し、エコール・ド・シモンで球体関節人形を学びました。金子國義風の、繊細な顔立ちをした人形を制作しています。大分県出身、大分市在住で、どこか妖艶さすら感じさせる少女の人形を形作っています。
 新宅和音は、傷ついた少女など、瑞々しく生命力に溢れていながら、同時に脆さ、儚さを内に含んだ絵画を幻想的に描き出しています。大分県出身、別府市在住で、東京の画廊などで作品を発表しています。別府市内では、これまでにここちカフェむすびの、書肆ゲンシシャで個展を開催しました。
 本展はベップ・アート・マンスの企画として実施されています。本物のアートを通して、みなさまの心が豊かになれば、あるいは、感動をもたらすことができれば、幸いです。
 幻視は一時的なものですが、これまでの日常を異化し、奇異な幻想世界へといざなうものです。
 新しい扉を開けましょう。

                                                   主催者

2017年10月27日金曜日

骨董市に見る骨董屋の裏事情

 大分では、古書組合が開催する古書市がないため、定期的に骨董市に参加しています。
 その中で垣間見た骨董業界の裏側について綴っていきます。

 骨董市では、ひとつずつ骨董品が競りにかけられていきます。「◯◯円!」と皆に聞こえるような大声を出して、競っていきます。品物を見てから長くても一分以内に競りが終わってしまうため、素早い判断力が必要になります。
 ヤフオクだと、オークファンで過去の落札相場を確かめる時間がありますが、本当に直感を信じるしかないのです。
 そんな中、ある日、表に100万円という値札が付いた掛け軸が出品されました。
 競りは大体1000円からスタートするのですが、なかなか声がかかりません。終わり間近になって、ひとり、「1000円」と声をだすと、その値段で落札されました。
 お宝鑑定団で、よく、100万円で買った壺が偽物で、1000円とボードに書かれてうなだれている出品者の方を見かけるでしょう。それと同じ現象が骨董市でも起こったのです。
 しかし、しめしめと落札した業者はしたたかな顔をしています。聞いてみると、これをいくらで売ろうか考えている、とのこと。100万円は無理でも、数十万円では売ろうと思うと。
 1000円で仕入れた商品が数十万円で売れると、ものすごい利益率です。その品物がひとつ売れただけで数カ月分の収入になります。
 古本屋では、本というのはタイトルと作者で検索すると「日本の古本屋」やオークファンなどで大体の相場がわかるのですが、なるほど、骨董屋で真作か贋作かということは、容易にはわかりません。そこでこうしたことがまかり通ってしまうのです。
 おまけに骨董屋が本物だと思ったと主張すれば、詐欺罪に問われることもめったにないのです。
 つくづく骨董屋とはヤクザな商売だと思い知らされました。

 もうひとつ、この骨董市では絵画や本も出てくるのですが、あとで調べてみると、大体ヤフオクの3倍から10倍の値段で競り落とされています。それなのにどうして利益が出るのか。それはヤフオクをはじめネットを見ないご老人たちに高値で売りつけているからです。
 それならいっそ、ということで、ヤフオクで仕入れて、転売している骨董屋もいます。
 骨董屋に必要なのは、「信用」と、「太い顧客」なのです。
 たとえオークファンで落札相場がいくら、と言っても、そもそもネットを知らず、どうしても欲しいという方がいれば、現実にはその何倍もの価格で取引されるのです。
 こうしたことからも骨董屋はあこぎな商売と思ってしまいます。

 こういうことがあってか、「古本屋は骨董屋より上に見られる」らしいのです。まだデタラメな値段をつけていないだけ、「カタギ」の商売だと思われているのでしょう。
 けれども、現状を見るに、古本屋より骨董屋のほうが生き残っているのも現実です。別府市内だけでも、古本屋は数軒しかないのに、骨董屋は数十軒存続しています。湯布院までいくともっとです。観光客や中国人の客を目当てに信じられないほど儲けている業者がいます。
 古本はもはやeBayなどの出現によって、世界的に相場が統一されてきています。本に関する知識がなくとも、ネットさえわかれば値付けができるのです。
 けれども、贋作がある骨董屋ではそうはいかない。
 というわけで、骨董についても勉強を始めております。将来的にはゲンシシャで骨董品も展開していきたい、そう考えております。

2017年10月14日土曜日

メジャーであること、マイナーであること

 一つの分野を突き詰めていくと、どうしても視野狭窄に陥ってしまう。

 ダミアン・ハーストがいる。現代アートの作家の中でも、最も高値がつく内の一人だ。
 別府でアート関係の仕事に就いている人に、なんとなく、彼の名前を出してみたところ、「だみあんはーすと?」と疑問形で返された。「それって誰?」と問われたのだ。
 アート関係の人間でも知られていないということは、おそらく一般の別府市民で、ダミアン・ハーストという名前を聞いたことがある人間はごく少数だろう。
 ある古本市に参加したとき、「日本の古本屋」で三万円近くの値がついているダミアン・ハーストの作品集を、シャレで、100円という値札をつけて売りに出したことがある。
 けれども、売れなかった。理由をたずねてみると、本が大きすぎるから、 作品の内容が好みじゃないから、とそういうことを言われた。
 私がいま直面している現実とはこういうものだ。
 それなのに、ダミアン・ハーストの作品は、オークションでは億単位の値段で落札されていく。
 一体誰が、どんな理由で買っているのだろう。
 私の周りの人間は、ダミアン・ハーストという名前を聞いたことすらない。
 日本のアート市場が発達していないから、海外の作家だから、別府が田舎だから。様々な理由が考えられるが、それにしても不思議だと、おそらく知識に偏りがある私は思う。

 似たような例は文学の場でもある。別府市内で開催されている読書会に、私は多和田葉子の本を持っていった。多和田葉子は芥川賞作家であるし、ドイツでも賞をとり、世界各地で翻訳されている。その会は、持参した本の好きなフレーズをひとつずつ朗読していくというものだったのだが、私の番が来て、「多和田葉子」という名前をつぶやくと、途端に質問攻めにあった。
「誰ですか?」
「日本の作家ですか?」
「聞いたことがない。すごくマイナーな方ですね」
 これも私が直面している現実だ。周りの人々は、司馬遼太郎や、藤沢周平、あるいは自己啓発本を持ってきていたのだ。私が持ってきた、多和田葉子、しいて言えば純文学の本を持ってきた人は皆無だった。
 ノーベル文学賞の発表が近づくと、女性の文芸評論家たちが、多和田葉子の名前をあげたりする。けれども、彼女の名前は、私の、周りの人々は聞いたことがない。おそらく本を目にしたこともないのではないだろうか。

 なかば、美術や文学に詳しくなると、周りとの感覚に大きな差が生まれてしまう。
 これはダミアン・ハーストや多和田葉子に限った問題ではない。美術系の大学出身者で、村上隆の名前を知らない人もいる。文学部出身で、安部公房を知らない人もいた。
 こうした差をいかに埋めるか、それが私がたびたび直面している課題だ。
 自分にとってメジャーなことが、大多数の人にとってマイナーである。 この現実にいかに対処していくか。周囲に歩調を合わせるか、独自の道を突き進むか。

 今のゲンシシャの方向性は間違っていないと思う。
 原爆、戦争、死体、芸者、春画など、固有名詞を知らない人でも、見た目で、グロテスクだったり、美しかったりすることを理解できる品物を揃えている。
 裾野を、非常に偏ったかたちではあるものの、拡げていると自負している。
 文化にまったく興味がないヤンキーでも驚異を感じ取れる店として、発展していく。

2017年9月19日火曜日

別府は住みよい町なのか

 今回は、別府に住んでいて良い点を積極的に挙げていこうと思います。
 良い点か、悪い点か人によって判断が分かれるところもあるかもしれませんが、どうぞお付き合いください。

①車が必ずしも必要ではない

 まず、田舎=車が必須、と考えている人にはこの点を指摘したいと思います。
 別府は観光地です。温泉を目当てに全国各地から公共交通機関を使ってお客様が訪れます。
 ゆえに、バスなどの交通機関が比較的発達しているのです。
 おまけに、観光客が巡りやすいように、駅前エリアや、地獄がある鉄輪エリアに店が集中していますから、そこにある店だけに通う分には車は必要ないのです。
 ただ、町全体が坂になっていますので、自転車などは必要かと思います。いずれにせよ、大都市圏で歩き慣れた人にとっては、車は必ずしも必要ではありません。

②飲食のレベルが高い

 ①で述べたように別府は観光地、おまけに田舎なので農作物や海産物が安いことから、都会では信じられない値段で美味しいものが食べられます。
 東京のスーパーで刺し身を買うと九州産だったりしますが、それらが東京の半額くらいで手に入るのです。
 前に述べたように、別府には観光ガイドには載っていない、500円で腹いっぱい食べられる飲食店があるのです。
 高級フレンチと呼ばれる店でもせいぜい2000円くらい出せば食べられます。物価はとにかく安い。 ただ、家賃は高いのでできれば中古でもいいので家を購入しましょう。

③人と人との距離が近い

 ゲンシシャを経営していて、もう慣れてしまったので特に不思議に思わなかったのですが、初めて来店されたお客様とその流れで夕食を食べに行ったりします。ほかにも、休日に待ち合わせてレジャーに出かけることも。
 東京にいた頃にも同様の経験はありましたが、 別府にいると特にそうしたことが多い。一度会ったら友達、みたいなノリが普通なのです。それを好まない方もいるかもしれませんが。
 そして、米、野菜、車などをみんなでシェアして、必要なものを分け合う仕組みが自然と出来上がっているのです。ですので、どんなに貧しくても餓死することはまずありません。
 公民館も各町内にあり、地域のイベントも活発です。

④不思議な人がたくさんいる

 別府の最大の醍醐味はこれです。
 無職で昼からパチンコをしている人が大勢います。まあ、それはそれで問題ですが。
 おまけに、小説家や詩人、写真家、画家などが山ほどいます。
 良くも悪くも世間とズレている人が集まってきているのです。
「アートで町おこし」の結果、アーティストの人口が増え、もとからいた昼から裸で洗面器片手に温泉に入りに行くような方たちと交わって、別府はいよいよカオスになってきています。
 商店街にソープが並ぶ町別府には、職業の貴賎もないし、すべてを呑み込むような器の大きさがあります。
 瀬戸内海の温暖な気候も関係しているのか、祭りやイベントも盛んで、私ですらリア充のような生活ができるくらいです。
 もちろん別府市の財政などを考えると好ましくないかもしれませんが、「何をしているかわからない人」が多くいて、昼間から温泉に入っています。別府の市営温泉は入場料100円で、来るものを拒まないのです。

⑤別府に移住を希望する方へのアドバイス

 ということで、別府に住んでいて良かった点を書き連ねてみました。とにかく物価は安いので、セミリタイアして移り住むには面白い町ですね。
 よそで一儲けしてからゆったりと暮らすにはこれほどいい町はないと思います。
 稼ぎたい方には向きません。
 ゆったりまったりしています。

2017年9月16日土曜日

ゲンシシャはなぜエロ・グロ・ナンセンスを求めるか

 今回は、なぜゲンシシャがエロ・グロ・ナンセンスを求めることになったのか。
 その経緯についてお話したいと思います。

①排斥されてきたものへのまなざし

 私は、大学院で漫画を研究していました。現在でも日本マンガ学会に所属しています。
 では、なぜ漫画を研究しようと思ったのか。それは、まず漫画が新しい媒体であったこと、そして漫画がかつて、悪書追放運動など、排斥の標的になったからです。
 私のマンガ研究者としての研究テーマは「エロマンガ」とそれに伴う「表現規制」です。
 学部が法学部であったことから、刑法と憲法について学び、わいせつ物頒布罪と表現の自由の関係性、それに伴う判例である、「四畳半襖の下張事件」や、「チャタレイ事件」、そして、澁澤龍彦の「悪徳の栄え事件」 について分析を重ねてきました。
 そして、現在では「松文館事件」など、マンガ、その中でもエロマンガ、BLなどが、排斥の対象になっていることを知りました。
 そうした排斥されてきた性表現などにもう一度光を当てる、それがまず、エロ・グロ・ナンセンスに目を向ける理由のひとつです。

②「必要ないもの」のアーカイブ

 次に、国会図書館で研究のための資料を物色しているときに、いわゆる風俗関係の雑誌や単行本などは所蔵されていないことがわかりました。そもそも国から必要ないと判断されたのか、あるいは出版社がアウトローなので納めなかったのか、わかりません。けれども、そうした国会図書館に収蔵されていないような品をアーカイブする施設がどこかに存在する必要があるのではないか、それがマンガ研究のなかで私が思いついたことでした。
  そこで、神保町など、古書店を巡りながら、国会図書館のデータベースにアクセスし、所蔵されていないことがわかれば購入するという行為を始めました。
 そうして集まってきた資料が、たまたま、エロ・グロ・ナンセンスに通じるものだったのです。
 いわゆる変態向け、マニア向けに作られたものは、国会図書館にない。全国のどこの図書館にもない。それならば、うちで所蔵しようじゃないか。そうしてゲンシシャのもとにはエロ・グロ・ナンセンスをテーマにした書籍が集まってきたのです。

③さらにその先へ

 そうしてゲンシシャが出来上がっていくうちに、排斥されてきたもの、と必要とされなかったもの、の収蔵が進み、資料も充実してきました。いや、もちろんいまだ序の口ですが。
  そうしているうちに目をつけたのが、古写真です。
 古写真ならば、書物のように場所をとることもない。そして、古写真こそ、その中でも特に風俗関係、エロ・グロ・ナンセンスの資料は、排斥され、必要とされないというよりむしろ隠蔽されてきたものではないか、そう考えるようになりました。
 ですから現在、ゲンシシャには第二次世界大戦中の日本人収容所や、沖縄、アイヌ差別の資料、 戦争で殺された名も無き兵士たちの古写真が集まってきているのです。
 隠蔽された禁忌に手をのばすことは、快楽を伴います。
 そうして私自身楽しみながら、ゲンシシャは新しい局面へと舵を切ろうとしています。
 どうぞ、今後共よろしくお願いいたします。

2017年8月21日月曜日

別府の日常つれづれ

 私はもともと別府で生まれましたが、東京で10年間を過ごし、別府にUターンした人間です。
 今回は、別府に暮らしてみて、発見したこと、違和感を感じたことについて徒然なるままに書き出してみます。

①別府で使われているSNS

 東京にいるとき、親しい友だちとはLINEで会話していました。あるいはTwitterのアカウントを交換し合ったものです。
 別府では、この「LINE」がFacebookメッセンジャーに、「Twitter」がFacebookになります。
 親しくなると、Facebookを交換しよう!となり、友達との会話もFacebookメッセンジャーを使う割合が非常に高いのです。
 市内で行われるイベント情報や、災害情報(地震や大雨など大分県は最近様々な災害に見舞われました)はすべてFacebookで流れてきます。
 Facebookを通して新しい店舗ができたとか、誰々が結婚したとか、市内で起きた出来事が次々に分かるのです。
 友達との会話も、別府市内に住んでいる人との会話は大抵Facebookメッセンジャーを使います。
 別府は立命館アジア太平洋大学(APU)があり、外国人が多く、また高齢者が多く若者が少ないので、Facebookの利用率が非常に高いのです。

②別府は物価が安い

 先の地震で現在は閉鎖中ですが、別府市には九州最古の公立美術館である別府市美術館があります。そこの入場料は、なんと100円なのです。それも企画展と常設展両方を見て100円なのです。それでも人が疎らなのがいかにも別府らしい。
 別府駅前に地元の人々に人気の定食屋があるのですが、そこはなんと10品ついて500円です。また、あるどんぶり屋はセットを頼んで300円です。
 東京にいても下町エリアにいるともしかしたら同様のお店があったかもしれませんが、この安さは尋常ではないです。喫茶店に行ってもドリンク一杯200円。ファミレスに行けばドリンク飲み放題で200円いかないのです。おそるべき安さの理由は、原材料や人件費(最低賃金が700円くらい)の安さのためでしょう。
 古着屋に行けば、服(Tシャツなど)が400円で売られています。
 古本屋では、ハードカバーの単行本が一冊50円で売られています。もちろんブックオフではありません。
 ああ、素晴らしきデフレ都市かな。

③「外資系」と地元民の賃金格差

 別府市内にはいわゆる中小企業しかありません。そうしたところは、初任給が大体15万円いかないくらいです。30代になっても年収200万円いかない人が多く暮らしています。
 別府市の平均年収はなんと268万円。物価は安いが給料も安いのです。
 それに比べて、東京や大阪に本社があって、別府支店に勤務している方たちは、かなり高い給料をもらっています。
 先日大江戸温泉物語が新しいホテルを別府市内にオープンしたのですが、従業員を募集したところ、とんでもない倍率になったといいます。ジリ貧な地元ホテルに比べて、「外資系」の給料は信じられないほど高いのです。
 東南アジアで日系企業の人々が裕福な暮らしをしている、その構図が、別府にも当てはまります。

④家賃は高い

 別府は家賃が高い。
 もちろん東京と比べると安いのですが、県庁所在地である隣の大分市と比べても高いのです。
 別府はもともと人が住める土地が狭く、人口密度が高いことと、「日本一の温泉都市」のプライドから家主が家賃を下げたがらないのが原因です。
 駅前の物件など家賃10万円ほど。ここは渋谷かどこかと錯覚してしまいます。
 商店街が廃墟のようになっているのもこの家賃の高さが大きな原因のひとつです。
 一時間に10人ほどしか歩かない商店街の飲食店が、毎月30万円ほどの家賃を払うのはかなり厳しいものがあります。
 家主たちは特にリスクを抱えていないので、借りる人がいなければそれでいい、とそうした態度なのです。

⑤観光都市の表の顔と裏の顔

 先日「湯~園地」というイベントが別府のラクテンチで開催されました。全国ニュースでも取り上げられたのでご存知の方も多いかと思います。
 別府でこの「湯~園地」の評判はどうだったかというと、アンチの方が多くいらっしゃいました。まず8000円という入場料が、年収の低い別府地元民からすると到底出せるものではなかったのです。また地元をないがしろにして観光客を優遇するのか、と非難の声があがりました。
 別府の竹瓦温泉をはじめとする市営温泉は100円で入場できます。そこに観光客が入ってくることを毛嫌いしている地元民(主に老人)が多くいます。あからさまに嫌な顔をしたり、極端な例をあげれば、観光客を減らそうと発言した自治会長もいたくらいです。
 別府の老人たちの地元愛は相当に強いです。だからこそ、観光客や移住者、いわゆるよそ者を嫌う人も少なからずいます。彼らは主に下町に住んでいて、地獄めぐりで有名な鉄輪などには少ない。

 ざっとつれづれに書いてみましたが、こんなところです。
 疲弊する地方、とよく言われますが、別府もそのうちのひとつです。観光客のほとんどが中国、韓国、台湾の人々で、 海外の資金に頼りながらなんとかほそぼそとみな暮らしています。
 星野リゾートやインターコンチネンタルホテルなど「外資系」が次々にあらわれる中、どう変化していくのか楽しみです。

2017年8月12日土曜日

自営業者の生活

 今回は、自営業者の生活について、実体験をもとに書きます。
 小売業を営む個人事業主の生活の実態です。

 特に会社員を辞めて事業を始めようという方に読んでいただきたい記事です。

①自営業者にとって最も大事なのはコミュニケーション

 会社の人間関係が辛いな、自営業者なら自由に自分の思い通りに仕事ができるから、と考えている方。その考えは間違っています。
 自営業になって感じるのは、とにかく飲み会の多さ。同業者、または同じ地域の自営業者、はたまた異業種交流会など、一週間のうちに何度も飲み会があります。
 そこで名刺を配って営業をかけるわけです。自分の存在を知ってもらわなければ、自分の店の存在を知ってもらわなければ、仕事がそもそも舞い込みません。
 生死がかかわっていると言っても過言ではないのです。
 また飲み会以外にも進んで異業種の自営業の方の店に顔を出し、自分のことを覚えてもらうことが大事です。とにかく自分を売り込まなければいけません。
 なぜなら、地元の情報誌や、情報サイトに載せてもらうためには、そのまとめ役の人間に気に入られる必要があります。そこで、飲み会においては自分のことを上手にアピールし、自分を売り込むことが求められているのです。

 また、会社においては、企業内に派閥があることが多いですが、それは自営業者の世界でも同じです。
 たとえば商店街なら、必ずその商店街の重要人物が何人かいて、その方たちが派閥を形成しています。どこの派閥に所属するかで、店にどのくらい集客があるのか、大きく差が出るのです。
 テレビのCMをバンバン打てるだけでの経済力があるのならまだしも、口コミなどが求められる場合、特に大きな派閥に所属し、自分のことをより多く話してもらうことが大切なのです。
 もし逆に、派閥を脱退しようものなら、ゴミ出しから、仕入れに関するまで、様々ないやがらせを受けることになります。
 あの店は◯◯派だから、やめておこう。あの店は同じ派閥だからよく顔を出そう。
 小さな個人経営の小売店の場合、お客様も同じような個人事業主である場合が多い。となると、派閥の中の力関係を重視することが大切です。派閥の領袖に気に入られ、グループの一員であり、なおかつ存在感をみせることが重要なのです。

②公私混同は当たり前

 会社員の場合、仕事の場合とオフの場合とで顔を使い分けている方も多いのではないか、と思います。
 その点、自営業の場合、仕事とオフの差がない、言ってしまえば24時間仕事をしているという緊張感を保ちつづけることが求められます。
 自分自身が店の看板を背負って町を歩いているようなものですから、たとえば喫茶店にいても、あ、◯◯という店をやっている方だ、ということで、◯◯の店長が喫茶店に来ていたよ、と次の日には噂になってしまうのです。これは私が事業をしているのが地方都市だからかもしれません。
 服を買うのも、食材を買うのも、常に周りの人々に見られている意識を保たなければなりません。そして、たとえ噂になってもよいという心構えが必要なのです。そのためには、いっそのこと周りのことは気にしないと割り切ってしまうか、あるいは常に清潔に保つことが求められるのです。

 ことさら気にしないといけないのが、色恋沙汰。前のパートナーが誰で、その前は誰で、今は誰だ、と周りの人々に完全に把握されています。隣町、いやそれでも足りない、隣県の相手と遠距離恋愛でもしないかぎり、必ず共通の知人がいて、そこから噂は瞬く間に広まってしまうのです。
 ですから、国会議員や俳優のように、身辺は常に清潔にしておくことが求められます。一度不倫などあやまちを犯そうものなら、一生その噂はついて回ります。

③まとめ

 ついつい一つの話題が長くなったので、項目が二つしか作れませんでしたが、まとめますと、自営業者は常に顔を売るよう心がけれなければならず、だからこそ身の回りは清潔に保たなければならない、ということです。フリーランスで活動している方なら共感されると思います。
 会社員の方にひとつ忠告したいのは、会社をやめて自営業を始めると、世間全体が「会社」になるということです。 オンオフを切り替えて活動したい場合はサラリーマンを続けましょう。全ての責任を自分で背負うことこそが自営業者に求められる素質なのです。

2017年8月1日火曜日

「魂の性別」展に寄せて

 魂に性別があるのなら
 その由縁はどこにあるのだろう
 自由な魂は身体を越えて表出する
 あらわれる本当の姿は
 魂の在り処を教えてくれるーーー

 書肆ゲンシシャは、2017年8月から、終期未定で、「魂の性別」展を開催いたします。

 展示する写真は、LGBTの古写真。今から100年ほど前の、ゲイの、レズビアンの、同性婚や異性装の古写真です。
 ゲイや、レズビアンの古写真は、一見しただけでは、本当に同性愛者なのか、それとも仲が良い友達なのか、不明なところが多々あります。
 そこで、今回は、同性婚や異性装など、セクシュアリティが前面に出ている写真を選び、展示することにしました。

 同性婚が認められたのは、まだ最近の、2001年、オランダでの話です。となると、100年前のゲイやレズビアンが、法のもとに認められていなかったにもかかわらず、同性婚を挙げ、その記念写真を撮影する姿からは、強い意志が感じられます。

 また、明治時代の日本では、 明治6年に発令された違式詿違条例で一般人の男装・女装が禁止されていたことがあります。江戸時代には男娼が存在し、同性愛が半ば公然と認められていたにもかかわらず、西洋化を推し進める明治政府によって取り締まりの対象になったのです。

 そうした経緯を踏まえてLGBTの古写真を見ると、なおさら感慨深いものがあります。

 また、ゲイに比べてレズビアンについて書かれた文献が少ないことも記しておきます。レズビアンは、確かに女性同士で恋愛を育んでいたものの、ゲイに比べて、当時社会の中心にいた男性たちの害にならないという理由で、さして気にかけられなかったという事情があります。ここでも、男性と女性という性差によって、差別が行われていたのです。

 性というものは、性器の形状や、体つきによって、表面的にあらわれています。それでは、人間の魂には果たして性別があるのでしょうか。
 人間の魂にもし性別がないのなら、 表面的な性にとらわれない自由な魂の表出があり得るのではないか、魂の意志があり、それに従うならば、当然尊重すべきではないか。
 そうした問いかけを、本展は含んでいます。

 ゲイの結婚式では、またレズビアンの結婚式では、多くの場合、片方が異性の格好をし、タキシードとウエディングドレスで揃えているところが気になります。
 あくまでも心は、男性と、女性という役割を担っていたのでしょうか。その辺りについても今一度問いかけてみたいと考えています。

 100年前と現代の、異なる社会、その中で人間の心はどのように変化してきたのか、その辺についても思いを馳せていただければと考えています。

 生と死の境界を曖昧にする死後写真の「永遠の命」展に対し、「魂の性別」展は男と女の境目を曖昧にします。
 ゲンシシャが発する新しい問いかけの、みなさまの回答をお待ちしております。

2017年7月22日土曜日

ゲンシシャはマンガミュージアム

 書肆ゲンシシャには、昔懐かしい、珍しいマンガがたくさん所蔵されています。

 丸尾末広、花輪和一、高橋葉介、駕籠真太郎、早見純、山野一、ダーティ・松本、氏賀Y太といったホラー、エログロ路線の作家の作品はもちろん、

 水野英子、西谷祥子、本村三四子『おくさまは18歳』、わたなべまさこ、牧美也子、一条ゆかり、萩尾望都、竹宮恵子、山岸凉子、大島弓子、陸奥A子、太刀掛秀子、田渕由美子、松苗あけみ『純情クレイジーフルーツ』、吉野朔実、もりたじゅん、紡木たく『ホットロード』、吉田秋生、いくえみ綾など少女漫画も多く取り揃えています。内田善美や三岸せいこなどの稀覯本もあります。

 「フィールヤング」や「エロティクス・エフ」などの岡崎京子、魚喃キリコ、やまだないと、楠本まき、安野モヨコ、ジョージ朝倉、今日マチ子、宇仁田ゆみ、南Q太、内田春菊、ふみふみこ、

 そして、ニューウェーブの、大友克洋、高野文子、諸星大二郎、いしかわじゅん、さべあのま、坂口尚、

 エロマンガでは、石井隆、椋陽児、三条友美、榊まさる、村祖俊一、宮西計三、ひさうちみちお、珍しいものでは山田詠美が本名の山田双葉で出したエロマンガ、田口トモロヲが本名の田口智朗で出したエロマンガ、そして谷口ジローやかわぐちかいじなど誰もが知っている大御所が描いたエロマンガなども所蔵しています。

 川崎三枝子らのレディースコミックも扱っています。

 まつざきあけみ、中村明日美子、秀良子、のばらあいこ、はらだなど、耽美と呼ばれた時代から現代までのボーイズラブ(BL)も揃えています。

 LGBT関連では、志村貴子、やまじえびね、渡辺ペコ、田亀源五郎など、様々な方向から光を当てる作品を集めています。

 日野日出志、森由岐子、川島のりかず、西たけろうなどのひばり書房のホラー漫画もあります。

 谷岡ヤスジ、天久聖一、タナカカツキ、加藤伸吉、小田扉らのギャグ漫画、

 たむらしげる、ますむらひろしらの叙情的な漫画、

 また、つげ義春、つげ忠男、永島慎二、林静一、安部慎一、鈴木翁二、古川益三、近藤ようこ、川崎ゆきおといったガロ系の漫画家、その系統に連なる逆柱いみり、島田虎之介、ユズキカズ、西岡兄妹、鳩山郁子などの単行本も幅広く取り揃えています。

  滝田ゆう、小林源文、星野之宣、上村一夫、今敏、風忍、宮谷一彦、鶴田謙二、福山庸治、平田弘史など各ジャンルの青年マンガも揃っています。

 近年では、浦沢直樹、黒田硫黄、五十嵐大介、小田ひで次、松本大洋、高浜寛、こうの史代、『ダンジョン飯』の九井諒子、『よつばと!』のあずまきよひこなどメジャーから通好みのものまで、扱っています。

 新関健之介や大城のぼる、上田トシコ、松本かつぢといった手塚治虫以前の漫画家の作品、

 また「JUNE」や「ALLAN」といった現在のBLの基礎を作った雑誌や、いわゆる自販機本などのバックナンバーも揃えています。

 マンガの描き方に関する指南書もあり、いずれも1時間300円でご自由に店内にてお読みいただけます。

 SNSではマンガミュージアムとしての側面には光が当たらない現状ですが、エロ・グロ・ナンセンスに加え、もうひとつの柱となるコンセプトとして「漫画の歴史を実感できる店」を挙げています。

 今後、さらに充実させていく所存ですので、よろしくお願いいたします。

2017年6月26日月曜日

リュウゴクが誘う東京巡り

 今回は、書肆ゲンシシャ店主リュウゴクが、東京のおすすめスポットをご紹介いたします。
 全部回れば、東京に居ながらゲンシシャの雰囲気を味わえるかもしれません。
 十年間過ごした中で、特に記憶に残るスポットを紹介いたします。

〈神保町〉
かげろう文庫・・・高山宏ファンの耳ピアスが特徴的な店主佐藤龍が経営するマニアックな古書店。
           江戸時代以前の稀覯本、解剖学、幻想文学、奇形、西洋絵画など幅広い視覚的           な本を網羅しています。高価な商品が多いので手持ちのお金は多めで。

虔十書林・・・詩を主に扱うが、画集など豊富な品ぞろえで、澁澤龍彦らの直筆原稿も扱う。雑誌の         バックナンバーがよく揃えてあって、映画関係の貴重な資料もある。やまだ紫が描い         たシンボルマークの猫がかわいい。やまだ紫ほかの原画も所蔵する。

くだん書房・・・少女漫画専門の古書店。貸本漫画から現在までの稀少な少女漫画の単行本、雑誌          を扱っている。近くにある米沢嘉博記念図書館の方たちもよく訪れる、研究者にも          好まれる通な品揃え。入り口がわかりにくく要注意。

 他に、古本屋だと、小宮山書店(本全般)、アットワンダー(サブカル全般)、源喜堂書店(美術全般)、魚山堂書店(写真)、秦川堂書店(古写真ほか資料)、田村書店(洋書)、羊頭書房(SF・幻想文学)あたりがおすすめ。掘り出し物を狙うなら澤口書店(本全般)が意外に良い。

神保町画廊・・・アンダーグラウンドな写真などを展示する。ぜひ本を買う前、荷物が軽いあいだに          立ち寄りたい。

〈銀座〉
青木画廊・・・幻想系のギャラリー。老舗であり、幻想絵画の大御所たちの個展を相次いで開催し          ている。上の階にある藤野一友の絵はぜひ見ていただきたい。寺山修司らの稀覯          本も定価で購入できる。

スパンアートギャラリー・・・種村季弘の息子、種村品麻が運営するその筋では有名なギャラリー。                 幻想的、エログロな作品を展示している。丸尾末広、高橋葉介のサイン                 本や版画も販売しています。

ヴァニラ画廊・・・アンダーグラウンドな作品を展示、販売している。古書コーナーも充実しているの           で見逃せない。地下にあり、入り口を見つけるのが難しい。漫画家の原画展も多           く開催しています。

 他に、画廊だと、東京画廊(中国系)、南天子画廊、 資生堂ギャラリー、メゾンエルメスなどは外せない。
 本屋は森岡書店など。

〈浅草橋〉
パラボリカ・ビス・・・旧ペヨトル工房の人が経営している画廊。球体関節人形やガロ系の漫画家の             原画展などを開催している。サイン本も多く取り扱っているので売店にも立ち             寄りたい。

〈初台〉
ザロフ・・・カクテルや珈琲が美味しいお店。二階のギャラリースペースで幻想系の作家たちの作品       を展示、販売している。有名人がよく一階で珈琲を飲んでいるのでお友達になるといい       ことがあるかも。

〈西日暮里〉
どどいつ文庫・・・マンションの一室(店主の自室?)が店舗になっている、奇妙奇天烈な写真集や
           画集を扱っている。洋書などAmazonより安く手に入る。入手経路は不明。店主と           ガロ系などの話をするのも楽しい。ブログが秀逸なので見て欲しい。

〈駒場東大前〉
万力のある家・・・元ガロの編集者、権藤晋こと高野慎三が経営する北冬書房の本拠地。ガロ系の           本拠地でもある。絶版になっているガロ系の漫画など新品で手に入る。もちろん           店主と往年のガロについて語り合うのもよい。

〈本郷〉
アルカディア書房・・・予約制の古書店。相場よりやや高いが、古今東西の美術書が揃っている。室              内にぎっしりと本が積まれているので、博物館に来たような感覚になる。学               術関係の利用も多い。店主も博識で情報交換ができる。

〈表参道〉
ビリケンギャラリー・・・ガロ系の漫画家たちの原画展、サイン会などを相次いで催している。店内に              は他では見られない宇野亜喜良などの絵本が販売されている。懐かしい怪              獣のフィギュアなども置かれている。

RAT HOLE GALLERY・・・荒木経惟をはじめとする写真や、現代アートを展示するギャラリー。往年                の名作写真集の復刻版なども精力的に出版している。洗練されたガラス                張りの室内に展示している。

古書日月堂・・・元セゾングループで働いていた女性店主が経営する古書店。一次資料を豊富に           取り揃えており、ファッションとアートに強い。視覚文化関係の資料を豊富に揃え、
          著名人が研究のためにそれらを買い求めていく。 

中村書店・・・詩集を豊富に取り揃えた古書店。店主も博識で話していて飽きない。良書が揃ってお         り、特に奥のショーケースの中には稀覯本が集まっている。サイン本も数多くある。         青山学院大学の前に位置する。

〈恵比寿〉
LIBRAIRIE6/シス書店・・・自身も写真を撮っていた佐々木聖さんが運営しているギャラリー。シュル                 レアリスム系の作家を多く扱っている。場所が移転してから広くなり、古                 書も貴重なものが揃っているので確認しておきたい。

NADiff A/P/A/R/T・・・美術系の洋書を探すならここをおいて他にない。地下の展示室に合わせた              トークイベントも充実している。上の階にあるMEMなどのギャラリーも合わせ              てチェックしておくとなおよし。

〈新宿御苑前〉
蒼穹舎・・・往年の写真集の出版社。新人、大御所問わず良質な写真集を出版し続けている。店内       ではそれらをサイン入りで購入できる。隣りにある展示スペースも見ておくべき。過去の       稀覯本も扱っている。

Place M・・・写真専門のギャラリー。蒼穹舎に行くならここにも立ち寄りたい。過去の名作から新人        の作品まで幅広く展示している。写真集も精力的に出版しており、そちらもチェックし         ておきたい。

〈田町〉
Photo Gallery International・・・海外にも通用するだろう日本の写真家および海外の写真家の展示                    を精力的に行っている。写真集もここでしか買えないようなものが                    多い。店主もその道では実力者なので交流していこう。

〈九段下〉
成山画廊・・・松井冬子などを扱う、注目されるギャラリー。性を扱った作品も多い。店主の成山明          光はフリークスなどの古写真のコレクターとしても知られており、話してみると面白          い。 澁澤龍彦関連の資料も所蔵している。

〈森下〉
古書ドリス・・・幻想系の古本屋。 シュルレアリスム、奇形、エログロ関係の書籍も充実している。球
         体関節人形などの展示も積極的に行っている。ライトな雰囲気の店内に重厚な内容         の本が充実しています。

〈外苑前〉
ときの忘れもの・・・往年のシュルレアリスムなどの名作を扱うギャラリー。コレクターたちが手放し             たアート作品をオークションにかけることもある。店主も人脈が広い方なのでぜ            ひ交流を深めていきたい。

〈渋谷〉
アツコバルー・・・海外の新進気鋭のアーティストたちを紹介するギャラリー。最先端のアートにふ            れられる。性をテーマにした作品を多く扱っているのが特徴で、挑戦的、意欲的            な展示をドリンクを飲みながら鑑賞、購入できる。

ポスターハリスギャラリー・・・寺山修司と宇野亜喜良を軸に展覧会を開催しているギャラリー。グッ                   ズが豊富にあるので売店に立ち寄りたい。中堅のエログロ作家の                    作品も多く取り扱っています。

文化村ギャラリー・・・よく前述のスパンアートギャラリー関係の作家たちが展示している。幻想系の
              作品が意外と多く展示されているのでチェックしておきたい。アート作品の
              セールも行っており、中には手頃な価格のものもある。

東塔堂・・・代官山のほうに歩いていく途中にあるアート系古書店。絵画、写真、彫刻、建築など
       バランスよく取り揃えている。ギャラリーが併設されており若手作家の個展を開催して        いる。お得なポイントカードもある。

〈新宿〉
KEN NAKAHASHI・・・新しい「性」をテーマにするアーティストたちを紹介するギャラリー。アンダー
              グラウンド、エログロなどを鮮やかに綺麗に描き出す作家たちを集めてい
              る。古いビルの一室にあるので地図を片手に訪れたい。

模索舎・・・他では見られないような左翼系の雑誌、資料が充実した書店。公安に目をつけられて        いるらしい。サブカル系の本のサイン本も多く扱っている。店のたたずまい自体がアン        グラ感にあふれている、今の時代にあって貴重な場所です。 

 photographers' gallery・・・新宿二丁目の片隅に位置する写真専門のギャラリー。北島敬三と、若                  い写真家たちが共同で運営している。若手の写真家たちの作品を見                  に、有名な写真家たちも訪れています。

〈吉祥寺〉
百年・・・トークイベントも活発に開催している古本屋。リトルプレスの出版物が店頭に並べられてい      るほか、奥の美術系の棚も通好みの品揃え。 純文学、古井由吉や小島信夫系統の本       が豊富に揃っている。本当に貴重なものは店員に言って出してもらおう。

トムズボックス・・・宇野亜喜良、スズキコージ、井上洋介らの絵本を展示するギャラリー兼書店。企            画展に合わせて作家たちの原画、版画も頻繁に販売しているので要注目。ほ             かでは見かけない貴重な絵本が並べられています。

〈下北沢〉
古書ビビビ・・・サブカル系の自費出版の漫画、資料本などが所狭しと置かれている古本屋。講談          社文芸文庫が多いのも魅力的。ショーケースの中には高価な写真集などが並べら          れているほか、珍本も無造作に置かれていたりする。

〈代々木八幡〉
SO BOOKS・・・アート系古書店。ここでしか手に入らないリトルプレス、自費出版の写真集を扱って          いる。著名なアーティストからマイナーなものまで幅広く取り揃える。写真のオリジ          ナルプリントも販売している。

〈武蔵小山〉
九曜書房・・・偏屈な店主が経営する変わった古本屋。詩に関連する同人誌や、ここでしか手に入         らない一点ものの資料を数多く所蔵している。思わぬところから思わぬものが出てく         る古本好きにはたまらないお店です。

〈中野〉
海馬・・・・まんだらけのサブカルジャンルの本を扱う部門。カストリ雑誌なども置いていて、写真集       の稀覯本など神保町と比べても遜色ない。たまに掘り出し物があるのも嬉しい。幻想文       学なども多く扱っている。

〈その他〉
 板橋区立美術館、練馬区立美術館、松濤美術館、世田谷美術館、世田谷文学館、ワタリウム美術館などは頻繁に展覧会情報を調べておきたい。タカ・イシイギャラリーや小山登美夫ギャラリー、ミヅマアートギャラリーはいわずもがな。
 赤々舎などはギャラリーを運営されていた頃はよく訪れました。

 ディープなところから有名な場所まで網羅してみました。
 どれも自信を持っておすすめできるところばかりですので、ぜひ一度お立ち寄りくださいませ。

2017年6月10日土曜日

死後写真展、中間報告

 2017年2月から始まった書肆ゲンシシャ「永遠の命」展は、おかげさまで盛況につき、現在に至るまで続けてこられました。ありがとうございます。
 5月には京都のアスタルテ書房にて一部死後写真を展示し、別府の店舗においても、展示替えを行いながら約半年間にわたって継続してきました。
 これだけ長い間「永遠の命」展を続けていると、様々なお客様の反応が見られます。
 今回はその中から特に関心が高いだろう事例を書き出しておきます。

①死後写真展を開催中だと知って来られたお客様の場合

 TwitterやFacebook、Instagramの投稿であらかじめ死後写真展を開催中だとご存知の上で訪ねてこられた場合、 展示ケースの中の写真には目を向けられますが、書肆ゲンシシャ店内に散りばめられた大型の写真を見て「まさか死んでいるとは思わなかった」とそれでもそう仰られる場合が多く見受けられます。
 今回の展示では従来のダゲレオタイプやティンタイプの写真に加えて、大判の写真もいくつか展示しております。
 そして、「悲しくて見ていられない」「愛情が伝わってきた」「ずっと見続けていたくなる」とお客様の反応は様々です。
 死後写真集を一時間、ずっと凝視し続けるお客様もいらっしゃれば、死体の写真はいいものの、死後写真は親や遺族の哀しみが伝わってきて見ていられない、とおっしゃられるお客様もいます。

②死後写真展を開催中だと知らないで来られたお客様の場合

 ランニングシャツ姿など、明らかに通りすがりだと思われるお客様も当店にはもちろんいらっしゃいます。その方々に死後写真を見せ、「死んでいます」と言うと、まずいただく返答が「当たり前でしょ。昔の写真だから」とそう口々におっしゃいます。そこで「写真を撮られた時点で死んでいるのです」というと、みなさま首を傾げられます。 そして「これは死体です」と言うと、途端に目の色を変え、写真を凝視し始めるのです。
 そして、アハ体験を味わったかのように、すっきりとした笑顔で帰って行かれます。口々に「知らなかった」とおっしゃられ、知的好奇心を満たされて帰られるのです。

③お客様が中国人、韓国人の場合

  別府は観光客のほとんどが東アジアの方ですから、その内の何名かが当店に立ち寄られます。そして、日本人のお客様と接する時と同じように、「これは死体の写真です」というと、②の場合と同様に、興味津々で覗き込んでいかれます。やはり東アジアに死後写真の風習はないのでしょう。みなさま死後写真集を手にとって、この本は英語で書かれていますから、熱心に読んでいかれます。新しい驚異に出会い感動するわけです。もともと観光客は好奇心旺盛な人々なので、じっくりと見て行かれます。

④お客様が欧米の方だった場合

 別府は国際観光都市なので、アメリカやヨーロッパの方々も多く住まわれています。彼らが当店にいらした時には、「死後写真です」「知ってるよ」と、さも当たり前のことかのように即答されます。そして「うちの家にも祖母の死後写真があるんだけど」「向こうで蚤の市で見つけたら買ってきてあげるよ」とそんな調子なのです。
 死後写真が、欧米においては、ごく自然に、当たり前に存在している文化だということがよくわかります。

⑤まとめ

 このように、まずは四パターンに分けて書いてみましたが、実際に展示をしていることで、人によって、また出身国によって実に様々な反応があることがわかります。
 日本人の中には、欧米に生まれなくてよかった、とおっしゃられる方もいらっしゃいますが、欧米人にとっては、本当に、当たり前に存在していた文化なのです。
 別府が国際観光都市であることで、様々な方の目に触れられたことは幸運でした。
 これからもしばらく「永遠の命」展を続けていくことにします。
 今後とも何卒よろしくお願いいたします。

2017年6月6日火曜日

『夜空はいつでも最高密度の青色だ』

 東京の夜空は本当に青いのだろうか。
 劇中で見える、満月が浮かぶ夜空はたしかに青い。けれども、現実に見た夜空が本当に青いのか、私は知らない。そもそも空を見上げることすらせず、ビルの煌々とした光に紛れて、夜空は意識することすらないからだ。だが、夜空はきっと青い。そう思わせるリアリティがある映画だった。

  主人公の女性、美香が居酒屋でトイレに立ち、戻ってくると、友達の女と男二人組が、美香とヤれるかどうかを話している。東京では、特に居酒屋ではよく見る光景だ。東京人は、即物的で、金と性欲とに正直に生きている。街では理性的な都会人を装っていても、プライベートでは野生を剥き出しにするのだ。
 その相手役の男性、慎二は、ニューヨークで司法試験に受かったという幼馴染の女と会う。女はためらうことなく慎二に年収を聞き、予想よりあまりに低いその金額に女は驚きを隠さない。学歴と年収、特に学歴社会が完全ではなくなった今、年収は相手を推し量る重要な要素だ。二人はホテルに行くが、慎二はセックスに向き合わない。草食系男子とは一昔前に流行った言葉だが、性欲に関心を示さない慎二は、現代の若者のステレオタイプだ。それから、女は嘘をついていたことを告白する。幼馴染だろうと、たとえばSNSで知り合った相手などには、平気で嘘をついて自分を大きく見せようとする。女もそんな現代人の典型だ。

 美香と慎二は、緊急地震速報をもう慣れてしまったように無表情で聞き、原発から漏れる放射能におびえている。けれど、特に何をするわけではない。
「いやな予感がするよ」
「わかる」
 そこには共感はあるものの、現状を打破しようとする気概はない。そこがまた、現代の東京人を如実にあらわしている。

 なにより、高い年収をもつサラリーマンの元カレを差し置いて、美香が、工事現場の日雇い派遣である慎二を選ぶところが、現代的だ。年収や社会的地位という指標を差し置いて、同情と共感を結婚の条件にする、同じ空虚感をもつ者同士が緩やかに関係を築く。今の若者のありのままの姿を描いている。
「じゃあ私と一緒だ」
「じゃあ俺と一緒だ」

 美香と慎二は、美香の田舎にある実家に挨拶に行った後、東京に戻ってくる。なぜだろう。いっそ田舎で暮らしたほうが楽なのではないか。 経済的にはそうかもしれない。けれど、母親に捨てられた負い目を感じている美香にとって田舎は決して居心地がいい場所ではないし、慎二も淡々と日雇い派遣を続けていく日常から離れる勇気もない。
 小市民的ともいえる現代人。特にこの映画は、東京でしか成立しない。ありのままの東京の若者の生き様を描いている。
 そして、生き地獄であるかのような若者の人生を、演出や、演じる俳優によっておしゃれに見せている。その上辺だけの薄っぺらいオシャレ感こそが、なによりも東京らしいのだ。

 この映画は、若者が見て、「わかる」と共感するための作品なのだ。
 私は地方都市である大分でこの映画を見たが、果たして彼らはこの映画の本質を理解しただろうか。
 東京の、漂流していく、現代の若者でしか味わえない心の動きを、繊細に表現している。
 だからこの映画の評価はきっと二つしかない。
「わかる」か「わからない」か。
 その先にあるだろう思索を語るのは、もはや若者ではない。

2017年5月30日火曜日

東京の思い出

 東京に住んでいた頃のことを、ついつい美化してしまう。
 十年間を過ごした代々木上原。地方出身者の僕には似つかわしい、低層住宅が立ち並ぶ閑静な街だった。近くには、吉永小百合の実家や、柳井正の邸宅、林真理子、渡辺淳一、奥田民生、徳川家の家があった。
 ロシア料理やフランス料理のこじんまりとした店が建ち並び、代々木上原駅の中にあるのが、マクドナルドではなくバーガーキング、吉野家ではなくなか卯というのも、この街のポジションをよく表していて、好きだった。
 新宿から急行で一駅目、東京メトロ千代田線も乗り入れていながら、商店街は下町の情緒にあふれていた。いくつかの食堂や喫茶店の常連になって、よくマスターと長話をしたものだ。
 かつて魚喃キリコが住んでいて、『南瓜とマヨネーズ』というこの街を舞台にしたマンガを書いていた。主人公たちが住んでいるのは実在のマンションで、全ての風景が実際に代々木上原界隈に存在していた。
 いまだに銭湯があって、北に坂をのぼっていけば、幡ヶ谷という戦争の空襲から焼け残った、やけに細い道が続く、別府に似た古い街があった。
 古本屋も、おしゃれだった。スピッツの草野正宗が住んでいたこともあるらしい。なるほどこの街はスピッツの歌の雰囲気にもよく似ている。
 休日になると他の街から人々がファイヤーキングカフェや有名イタリアンに訪れに来たが、代々木上原の住民しか行かないような、隠れ家的な美味しい店もたくさんある、懐の深い街だった。
 大山町や西原は緑が多く、どことなく女性的な感性をもった、良い街だ。 最近は邸宅が取り壊されてマンションができてきているらしい。それでも主な住民の層は変わっていないだろう。知る人ぞ知る閑静な住宅街には気取らない、肩の力が抜けた人々が住んでいる。

 東京の何がいいか。たくさんの人と会えることだ。これは間違いない。
 僕が通っていた美容室の美容師さんは、有村架純のスタイリストで、 また僕が通っていた茶道教室には、本木雅弘が来ていた。また茶道教室の大学教員を通じて、歌手の一青窈を知った。 町を歩けば荒木経惟と出会い、寿司屋に行けば安倍晋三が来ている。
 こんなこと、東京でしか味わえない。
 地方の人が東京に行って思うのは、おそらくテレビの中が、決して遠い話ではなく、すぐそばにある現実だということだろう。
 地方はまずそれだけの人口がいないのと同時に、人口密度が低いので、車を走らせなければ、主要なイベントに参加することもできない。
 それが東京と地方の格差だろう。
 大分では松任谷由実が歩いているとみな驚いてカメラを向ける。タモリがいると彼を目がけて多くの人たちが集まってくる。

 たしかに東京にいる間に人脈の幅は広がった。けれども、人と人とのつながりは薄く、それほど深い付き合いはできなかった。
 大分では人と人とのつながりは濃い。野菜などを分け合い、ちょっとしたことで集まり、パーティーが始まる。
 マンションに比べて気密性が低い木造の古民家に住みながら、オープンな付き合いをしている。それがとても気楽なのだ。
 少しずつ大分に馴染んできている。足りない刺激などネットを見ていればいくらでも満たせる。
 時間がはるかにゆっくりと過ぎている。東京は人々の歩くスピードもさながら、一日の長さが地方とちがうのだ。

2017年5月29日月曜日

大分に見る「新しいアート」

 大分県では今、アートが盛んです。
 大分市には大分県立美術館が完成し、別府、日出、竹田、豊後高田など、各地で地域の名称を冠するアートフェスティバルが開催されています。
 と書いても大分県民でさえ首を傾げてしまう方が多いのが現状なのですが。要するに知名度がない、アート関係者が内輪でさわいでいるだけで、一般市民は蚊帳の外なのが現状です。
 そうした経緯から、私はこのアートで町おこしの機運を否定的に捉えてきましたが、これは同時に新しいアートの動きを見ているのではないか、そう、ポジティブに見始めました。

 大分市には画廊が三つしかなく、他の市町村ではほとんど見かけません。
 それなのに大分県内にはアートフェスティバルに参加するために全国各地から移住者が訪れています。
 彼らはアーティストを名乗っています。けれども、画廊には所属していません。
 東京で活躍するアーティストたちはこの時点ですでに新鮮さを感じるそうです。
 大分県のアーティストは、InstagramやTwitterを通して作品を発表しています。また、ネットを通じて作品を販売しています。画廊を通す必要性を全く感じていないのです。
 画廊の主人などに話を聞くと、似非アーティストだとか、彼らの作品に将来性が見いだせないとかそんな話を口を揃えておっしゃいます。そして、行政から補助金をもらっている彼らは「悪」だと、そうした論調になってしまうのです。

 大分のアーティストを見るとき、大きく分類すると、古くからの美術協会に入っているアーティスト、そして彼らの後を追って画廊に属しながら東京など都会で作品を発表する若手アーティストたちと、SNSで作品を発表し主に地元で作品を発表しているアーティストに分かれるのです。
 そして、前者は後者を、こう書くと語弊があるかもしれませんが、蔑んでいます。
 実際問題として、どちらがより活躍しているのかはわかりません。旧来の画壇で作品を発表している人たちと、SNSで多くのフォロワーを抱え作品を発表している人たちとでは。

 大分の場合は大分県立芸術文化短期大学という、美術系の短大があるものの、そもそも旧来の画壇自体があまり大きくなかったので、とりわけ画廊に属さない新しいアーティストたちに、人数でも作品数でも押されているのが現実です。新しいアーティストたちは、日頃はSNSをやりながら、行政が主導するアートフェスティバルで一年に一度、作品を発表します。
 まあこのアートフェスティバル自体、市民は参加せず、認知度は高くないのですが、だからといって旧来の画壇の存在感というのもあまり大きくないわけで。
 そこに目をつけて、旧来のアーティストたちは、補助金の無駄遣い、 よそ者が自分たちの縄張りを荒らして、と怒っています。

 東京で活躍しているアーティストから見れば、何を田舎で、小さな団体同士で争って、とそう映るでしょう。実際、大分で芽が出たアーティストはみな東京に行ってしまいます。そして残ったアーティストたちがSNSで少しずつファンを増やしていきます。
 この構図は、「プロになれなかった絵師たちがTwitterで敗者復活戦をやっている」言説にも通じるところがあります。東京で成功しなかったアーティストが、大分でがんばっている。実際に、大分のアーティストには、かつて東京の画廊に所属していたものの契約を打ち切られた人が大勢居ます。

 とまあ、身も蓋もない話になってきましたので、今回はこの辺で。特に何が言いたかったわけではなく、大分のアートの現状を書き留めておくことが目的です。
 ゲンシシャには三重や鳥取からお客様がいらっしゃるのですが、彼らにこうした話をすると、口を揃えてこうおっしゃいます。「うちも同じだよ」と。
 なので、東京や大阪の方には、地方のアートはこういうものだと知ってもらい、地方の方々には、やはり「うちと同じだ」と感じるのか、今一度問いかけた次第です。

2017年5月18日木曜日

「幻想」とは何か~ジャンル横断的な思考、そしてエログロ

 幻想文学とは何か。
 もっといえば、「幻想」とは何か。

 「幻想」とは、
「自然の法則しか知らぬ者が、超自然と思える出来事に直面して感じる「ためらい」のことなのである」(トドロフ)[1] 
「既知の秩序からの断絶のことであり、日常的な不変恒常性の只中へ、容認しがたきものが闖入することである」(カイヨワ)[2]
 このように定義づけられている。

 確かに簡潔かつ平明に書かれているが、それでも私は「幻想」とは何か、独自の答えを導き出すために、東雅夫氏が発行した、雑誌『幻想文学』の前身となる幻想文学会発行の同人誌『金羊毛』を入手し、その巻末に挙げられている「日本幻想作家リスト」を参照しながら、そこに記されている膨大な作家の作品を読破した。
 すると「幻想」とは何か、感覚的にはわかったのだが、「幻想」にも多様性があり、様々な展開がなされている、という大雑把な印象が残った。
 そこで私は、切り口を変えて幻想文学というジャンルが果たした歴史的な役割について考えてみた。
 先ほどの「日本幻想作家リスト」には、従来幻想文学とされてきた新青年の小酒井不木、久生十蘭らに加え、古井由吉や津島佑子のような純文学の作家、田中小実昌のような大衆小説の類、草野唯雄などの推理小説作家、星新一などのSF作家、あるいは絵本作家にいたるまで、様々なジャンルの作家が、幻想文学という名前のもと、集められていたのである。
 このようなジャンル横断的な集め方ができることこそ幻想文学の凄みではないか、今では私はそう考えている。
 ちょうど同時期にマンガの世界でもニューウェーブの作家が現れ、大友克洋、高野文子、諸星大二郎、さべあのま、吾妻ひでおなど、従来の少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ、そしてエロマンガにいたるまで、ジャンルの枠にとらわれない作家たちが登場してきたことにも重なる。
 そして、学問の分野でも表象文化論のような学際的な専攻が生まれた。
 従来の枠組みを壊す、もしくは取り払うという意味合いで、同時期に様々な分野で同様の動きが生まれていたのである。その思想的背景については詳しくないのでここで述べることはいったん控える。
 そして、荒俣宏や高山宏のようなそれこそジャンル横断的にものをみる論者があわられ、その動きはいまだに続いているといっていいだろう。
 かつて柳田國男や南方熊楠など高度な知性をもつ人物によってなしえた多ジャンルに及ぶような幅広い知識の蓄積が、情報化社会の到来によって大衆の場まで降りてきた、そう考えることも可能ではないだろうか。

 ここでゲンシシャの展開について考えてみる。エログロはどのような立ち位置なのだろう。エロ・グロはいつも日陰に居て、望もうが望むまいが狭い枠にとらわれているのではないか。雑誌『世紀末倶楽部』や『夜想』のように一部の趣味人が好む種類のものではないか。
 そうするとこのジャンル横断的な動きに歯向かうものではないか。
 しかし、小酒井不木の作品を一読すればわかるように、または江戸川乱歩でももちろんよいが、エログロの分野はそもそも今日の幻想文学の根っこにあった。かつて梅原北明や酒井潔が果たした役割をみてみると、それまで埋もれていた、隠蔽されていた海外の知識を日本に輸入し、知識の幅を広げることに役立ったということを誰が否定できよう。
 澁澤龍彦がそもそもエロ・グロの文脈で、それは不本意なことかもしれないが、語られることにも注目したい。
 今の時点ではうまく言い表せないが、頽廃的なエログロの土壌から綺麗な花が咲くのではないだろうか。詩的な表現に逃げたが、エログロがもつ性的な本能の力強さや、なにより「エロ」はそもそも定義づけることが難しく、それだけに可能性を秘めていることに注目したい。
 時代によって「エロ」の定義は変わるし、人種や国、宗教によっても「エロ」の定義はもちろん異なる。とすると、そもそも「エロ」とは何なのか、とそれは私が論文でさんざん悩んだ挙句たどりつけなかった境地であるから置いておくとして、そんな得体の知れないものを相手にしていると、なんだか「幻想」に向かっているのと同じような感覚に陥るのだ。

 幻想とは「自然の法則しか知らぬ者が、超自然と思える出来事に直面して感じる「ためらい」のことなのである」(トドロフ)
 「既知の秩序からの断絶のことであり、日常的な不変恒常性の只中へ、容認しがたきものが闖入することである」(カイヨワ)

 最初のツヴェタン・トドロフとロジェ・カイヨワの「幻想」の定義に戻ってみる。この「超自然」を「サドマゾ・グロテスク・変態・珍奇etc」に置き換えても成り立つのではないか。もしくは「既知の秩序からの断絶」とはまさに日常において隠蔽された「エロ・グロの発現」ではないだろうか。
 エログロは「幻想」に似ている。
 実際問題として、幻想文学愛好者にはエログロ趣味を持つ人間が多いことも確かである。
 とすると、今後の展開はどうするか。
 それについては次回にまわそう。今日のところはこの辺で。

追記:いや、そもそもエログロは人間の根幹にあるもので、学際的研究がやがて専門分野に特化していく、その前段階だとすると、さらにその手前の言うなれば混沌の中にあるのではないか、故に未分類の、すなわちジャンルの横断さえ行われていない、原始的なものだと言えるのではないだろうか。

[1] ツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』創元社、三好郁朗訳、1999年、p.42

[2] ロジェ・カイヨワ『幻想のさなかに』法政大学出版局、三好郁朗訳、1975年、p.124

2017年5月7日日曜日

これからの時代、どんな本が売れるのか

 こんにちは。
 今回は、これからの時代、特に若い人たちにどのような本が売れるのか、私自身の本屋としての経験を踏まえて書きたいと思います。
 表題に掲げたような事柄は、商売として古本屋を経営している以上、常に気にかけています。
 すると、ある傾向が見えてきましたのでここにまとめておきます。

 当店では、荒木経惟、森山大道、細江英公、東松照明など、いわゆる日本写真史の大御所たちの稀覯本を扱っています。『センチメンタルな旅』や『薔薇刑』など。高価なものを取り揃えております。が、そうした本を目にしたお客様は口々にこう仰られます。
「こんな本がどうしてこんなにするの」
「こんな写真もう見飽きたわ」と。
 若い人だと特にその傾向は顕著です。そもそもアラーキー以外の写真家は名前自体を知らない方が多い。なので、こうこうこうした写真の歴史があって、こうした立ち位置にいるから、こうした良さがあるから高いのです、と応えると、「うーん」と唸ってしまうのです。
 昔からの古本マニアの方にとっては垂涎の品であっても、知識がない方にしては、どうして高いのか、わからないのです。
 これは絵画の分野でも言えて、竹内栖鳳だよ、横山大観だよ、高山辰雄だよと言ってもやはりみなさん唸ってしまいます。どこがいいのかわからない、と。

 それでは、そうしたお客様はどういった品をお求めなのか。
 簡単です。知識がいらない、わかりやすい品です。
 それこそ、死体の写真だったり、奇形の写真だったり、あるいは春画だったりするのです。そうした単純な見た目にインパクトがある品が、実際に売れていきます。
 たとえ高価でも、 「わかる」と頷かれて買われていくのです。
 芸術に関しても、狂人が描いた絵だとか、ヌードを艶やかに描いた絵だとかに惹かれるわけです。
 作家性というのはもはや価値がなく、見た目そのままの迫力に圧倒されるのが現代人なのです。

 いわゆるファインアートはみなさん最早見飽きているのです。そして、美術史や写真史の上で重要だとされてきた作品は、ただ唸ってしまうだけで、ワケワカランといって避けて行ってしまうのです。従来良いとされてきたようなものが、その良さを理解する人々がいなくなったことで、価値を喪失し、漂流しているような状態なのです。
 アウトサイダー・アートが近年流行っているのにも通じるかな、と思います。
 わかりやすい、前提として知識を必要としない作品が求められています。
 これこそ書肆ゲンシシャが掲げるエロ・グロ・ナンセンスの思想にも通じます。
 エロやグロといった直截的な表現がウケるのです。

 こうした現状を低俗だ、なんて憂う人もいるでしょう。
 けれども、現実問題として、高尚な作品を必要とするような人間は、ごく少数をのぞいて、もはやこの国には存在しない。政治の世界にポピュリズムが蔓延しているように、文化の面においても同様の現象が起きているのです。
 これから若者が年齢を重ねるにつれ、こうした傾向はますます顕著になっていくでしょう。その先に何が待っているのか、想像もつきませんが、そこは次回にまわすとして、 ひとまず今回は締めさせていただきます。

2017年4月14日金曜日

別府の町おこし~アート、オタク、そして湯~園地

 別府と聞いてどんなイメージを抱かれるでしょうか?
 温泉地、地獄めぐり、などが代表的なポイントだと思います。
 次に、詳しい方なら、病院が多い町、戦争で焼けず戦前の面影を残す町、といったことを思い出されるでしょう。
 さらに、歴史に詳しければ遊郭にルーツを持つ歓楽街といった側面にも目を向けられるでしょう。
 別府は旧浜脇村を中心にした遊郭をもとに発展し、現在では竹瓦温泉周辺に風俗街が形成され、ヒットパレードクラブという昔ながらのライブハウスもあります。
 商店街にまでソープが立ち並び、巨大なパチンコ屋が幅を利かせるまさに歓楽街そのものです。
 そして、立命館アジア太平洋大学(APU)開学後は、外国人留学生が増え、その人たちが定住し、子供をつくり、さらなる国際都市としての顔を持ちつつあります。

 そんな別府に書肆ゲンシシャはあります。
 ゲンシシャは古写真をはじめ、絵画、彫刻、現代アートなどを扱っています。
 なぜ別府でアートなのか?
 別府では「混浴温泉世界」というアートフェスティバルが開催され、東京からアーティストの方々が多く移住されているのです。
 画廊に属することなく活動するアーティストたちの作品はまさに自由奔放そのもので、 気ままに作品制作を続けています。
 そこに別府伝統の竹細工といった旧来の「アート」も加わり、アートで町おこしをしているのです。
 現在話題の「湯~園地」計画にも、別府在住のアーティストたちが関わっています。
 とにかくイベント好きな別府市民、小さなカフェでも毎週のように生バンドの演奏や、英会話教室などのイベントが開かれ、多くの人で賑わっています。
 高齢者が多く、若者が少ない別府で“アートで町おこし”が素直に受け入れられているのか、疑問は残りますが、 県外から客を呼び寄せる効果は一定程度あります。
 その恩恵で、“アートで町おこし”を担っているNPO法人BEPPU PROJECTの協力もあって、ゲンシシャには国内外問わず様々なアーティスト、美術評論家の方々が集っているのです。

 たとえば先日の、熊本に続く震災復興支援としておこなわれたディズニーパレードでは、ゲンシシャの前にも大勢のお客様が詰めかけ、主に福岡県の方々が立ち寄って行かれました。
 そして今、カフェを併設した滞在することに重きを置いた新しい別府市立図書館、美術館が建設されようとしています。市を挙げて様々な施策が実行に移されようとしているのです。

 そして別府はももいろクローバーZなどのライブも盛んに実行し、別府アニメ魂というアニソンバーも作られるなど、オタクカルチャーでも盛り上がろうとしています。

 去年の地震の後、復興特需が訪れ、さらにディズニーパレード、湯~園地と巨大なイベントを実行し、別府を盛り上げようとしている。この姿勢は素直に喜ばしいことだと思います。
 観光地ゆえに、古来から絵葉書がたくさん作られ、わずか150年ほどの歴史しかないものの、濃厚な時間を過ごしてきた別府。別府ローカルの今日新聞という新聞、とんぼチャンネルという別府のことだけを伝えるテレビのチャンネルまで持ち、独自の文化を形成する別府。
 その別府がさらなる飛躍のときを迎えようとしています。
 この波に乗り遅れないよう、ゲンシシャも次なる時代に備え、新しい動きを準備しています。

2017年4月7日金曜日

ゲンシシャのお客様(客層)

 書肆ゲンシシャを運営していると、遠方から訪ねていただくケースが多く、わかる範囲で、どの地方からいらっしゃる方が多いのか、台帳に記入しています。
 今回は、これからゲンシシャを訪れようとされている方、ゲンシシャに興味がある方のために、そのデータを公表することにしました。
 まず、どの地方からご来店される方が多いのか、書き出してみます。

 東京近辺:3.5割
 大阪近辺:2割
 福岡近辺:2割
 大分県内:2割
 海外:0.5割

 他にも、東北地方や沖縄からご訪問された方もいらっしゃいました。
 大分県別府市に立地しながら、東京からいらっしゃる方が多いのには本当に驚きます。
 別府が温泉が湧く観光都市であることももちろん理由のひとつですが、ゲンシシャの所蔵品に惹かれる感性をお持ちになられているお客様が東京を含む首都圏に多いことがわかります。
 地獄めぐり、もしくは湯布院観光の一環として当店に立ち寄られるお客様が多く、東京や大阪からのお客様は別府市内の宿泊施設で一泊して帰られる方が多くいらっしゃいます。

 次に、男女比ですが、

 男性:3割
 女性:7割

 と、女性のお客様が圧倒的に多くいらっしゃいます。特に、20代、30代の方がお見えになります。
 さらに記せば、女性二人組がもっとも多く、次に女性の一人旅をされている方、そして男女ペアでお見えになられる方、そして最後に男性が一人でいらっしゃることが多いです。
 お客様は、奇形や死体、緊縛といった古写真を鑑賞していかれます。
 東京のカストリ書房と同じように、女性のお客様が多いのは、不思議なところです。日活ロマンポルノや遊郭に若い女性が惹かれているとする記事がありましたが、同じような感覚なのかもしれません。

 まとめますと、東京からいらっしゃる、20代の、女性二人組のお客様が最も多くお見えになります。
 謎が多いゲンシシャでございますが、これでおおよその輪郭をつかんでいただけましたら幸いです。

2017年4月3日月曜日

男子校・寮生活は自由か、不自由か

 私は男子校の寮で中高時代を送りました。
 具体的な校名を出すのは控えますが、高橋源一郎の息子が通っている学校だといえば、大体の見当がつくかと思います。
 今回は、果たしてこの男子校の寮、といった空間が、青春時代を過ごすうえで、自由な空間か、あるいは不自由な空間か、考察していきます。
 多くの人に馴染みがないであろう、共学化がますます進む今日においては特に疎遠な、過去の遺物ともいえる男子校の寮生活について語ります。

 中学時代、それぞれの生徒に個室はなく、12人部屋(2段ベッドが6つある8畳ほどの部屋) が寝床で、他に学習室と呼ばれる100名の生徒が一斉に勉学に励む部屋と、共同浴場、そして食堂がありました。
 舎監、すなわち寮の管理人は元自衛隊員で、 厳格な人物でした。
 一日の日課を以下にまとめました。

 6時半 起床
 6時半~7時半 学習時間
 7時半~8時半 朝食
 8時半~12時半 授業
 12時半~13時半 昼食
 13時半~17時 授業
 17時~18時 夕食
 18時~18時半 風呂
 18時半~23時 学習時間
 23時~23時半 就寝準備
 23時半~24時半 学習時間
 24時半 消灯

 大体こんな感じです。一日のほとんどが勉強に費やされ、部活などは空いている時間になんとかやるといったふうです。

 この時間割の中で、何が不自由だったか、まず書き出してみます。
①学習時間の拘束
 学習時間は大教室に100名分の机が並べられた学習室で過ごし、トイレに行く以外は席を外してはならず、高い所に舎監が座る椅子があって、数時間のあいだ監視され続ける状態でした。
 咳をしただけで教室中に響き渡るようなコンクリート製の無機質な空間で、許されるのは勉強と読書のみ。私が読書に励むようになったきっかけはこの学習時間にありました。
②外部の情報の遮断
 2000年代前半にあって、携帯電話、テレビなどの電子機器の持ち込みを一切禁止された空間では、わずかにラジオと新聞のみが外部の情報を知り得る手段でした。 とにかく勉学に励むため、外部の情報は遮断されていました。なぜかマンガは許されていた、ただし学習室には持ち込み不可、だったので、休憩時間にマンガを読みふけりました。
③女性と接する機会の喪失
 男子校で、おまけに塾に通うことが推奨されず(学校のみの教育で上位校に入れるのが売りだったため)、外出時間も日に数十分(ちなみに門限は17時半)だったため、中高時代に会った女性は国語と音楽の教師だけでした。おまけに生活指導の先生が「女性は汚らわしいので話してはいけない」などと平気で言って、なんら問題にならない学校でしたので、女っ気はありませんでした。

 次に、自由だった箇所を書き出してみます。
①風紀が乱れても咎められない
 男子校でしたので、トイレにコンドームが落ちているなんてこともありましたが、さして問題になりませんでした。近所の女子校の生徒のハメ撮りビデオがあって、それを鑑賞する会なんてのもありました。教室でエロ本を貸し借りしてもそれが当然のような顔をしていましたね。もちろん表向きには禁止されていましたが。
②男性同士のほのかな愛情
 ボーイズラブではありませんが、クラスには長髪の、なよっとした男子がいて、その子が女性の代わりにクラスの華になることがありました。体育の時間にも美少年は男子たちに支えられ、愛されました。私の学校では柔道が必須の授業でしたが、正直エロスを感じましたね。
③エリートたちのパブリックスクール
 当然、息子を出身県外のこうした学校に入れるようなご家庭は裕福なところが多く、まして偏差値上位校でしたのでみなエリート意識のかたまりでした。近くの工事現場で働いていたお兄さんを生徒の一人がばかにして、敷地の中に殴り込んできたなんて事件もありましたね。ただ、エリートの中でも階層があって、東大志望の子はとにかく、他の子をいじめようが暴力事件を起こそうがお咎めなしでしたね。なにしろ学校の進学実績に関わることですもの、当然です。それ以外は一橋or東工大・早慶クラスとしてひとまとめにされていました。それ未満の大学に入る人間はもはや人間としてみなされていませんでしたね。落伍者の烙印を押されました。
 実態はどうあれ、教育方針として東大志望者のレベルに合わせるため、定期テストの平均点が20点なんてことも。落伍者はなかなか復活することが出来ず、中退する生徒もいました。

 なかなか普通の公立の学校では味わえない青春時代を過ごしてきたな、とあらためて振り返って、我ながら思います。朝の点呼も、「1!」「2!」「3!」「4!」とさながら軍隊のようなありさま。
 ですので、大学に行って急に落ちぶれる人も多く、大学での留年率が高いのも我が校の特徴でした。上京組は特に衝撃を受けました。なんて世の中には娯楽と情報があふれているのだろう、と。
 そして、こうも言うのです。テレビもネットもなかった、あの寮生活は幸せだったなあ、と。
 定年退職するまでこの寮の時間割を守り抜いたという人物もいて、伝説になっています。
 自由な面も、不自由な面もありましたが、とにかく濃厚な時間が過ごせた青春時代でした。 そう、濃厚な時間を過ごした代わり、同窓生たちはみな老け顔です。

 最後に、寮の食事の予算が一食200円ほどで、たまに土日に吉野家の牛丼を食べたりすると、美味しさのあまり感激したことを付け加えておきます。

2017年3月22日水曜日

リュウゴク、ゲンシシャが目指すところ

 ゲンシシャが作り出した基本的なスタイルは、「リュウゴク」アカウントを現実に持ってくることでした。すなわち、今まで見たことのない、主に海外の、良質な視覚をいまだそれを知らない人々にもたらすこと、それがゲンシシャの存在理由です。
 そのために、国会図書館にない本を蒐集したり、死後写真など海外の文化を紹介する施設として運営しています。もとから採算度外視でやっているので、いちいち赤字になっても気にしていません。
 けれども、最近その方向性に不安定な部分が出てきているので、今一度、リュウゴク、そしてゲンシシャが目指すところを書いておこうと思います。

  リュウゴクが目指すのは梅原北明です。昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス文化を代表する作家、編集者。破天荒な人物でエロティックな本を出版しては発禁になり、エロがだめならグロはどうだとグロテスクなものをひたすら出版し続けました。それと同時に、海外の知られざる文学を日本に紹介したことでも大いに評価できるでしょう。
 狂気の人物、と言ってしまえばそれまでですが、豪華装丁本に見える美的センス、あらかじめ予約を募り刊行するスタイル、全巻購入者への特典の配布など、芸術、商売、その両面から評価されるべき人物だと捉えています。

 次に目指すのが、三田平凡寺。マンガ研究者としての私の師匠である夏目房之介先生の、夏目漱石と並ぶ著名な祖父です。珍品蒐集家として知られ、大便を石膏で型取り、模型を作って金粉を塗って保存するなど様々な奇行で知られました。家に蒐集品を陳列して、客に見せていたという、まさに今のゲンシシャの在り方の先駆者とも呼べる人物です。

 二人とも奇妙な人物で、もちろん面識があるわけではなく、その人となりがわかるわけではありませんが、あくまで本や資料に目を通しながら、その生き方を参考にしています。
 もともとどのコミュニティーにいても馴染めなかった、男色の気があったり、死への興味が異常に強かったりする私ですから、この社会のはみ出し者として生きていく所存であります。

 幼い頃から女性に親しみ、スポーツよりままごとをして遊んでいた、男色の気がある私を、両親は全寮制の男子校に送り込み矯正しようと試みました。けれども、結果、ますますはみ出し者としての気質が強くなりました。男子校という自分の変態的な趣味趣向を惜しみなくさらけ出せる場所で、いっそうの変態として成長したのです。中2の頃にサドやバタイユに心酔し、私の一生はほぼ決定されたと言っても過言ではありません。同時期に不安神経症が悪化し、異常に感受性が強い人間になりました。

 自分が狂っていると知っている人間は狂人ではない。この言葉を胸に刻み、なんとか正気を保ちながら、これからもリュウゴク、ゲンシシャを運営していきます。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

2017年3月12日日曜日

文系院卒は貧困の始まり

 ネット上を見ても否定的なことばかり書かれていますが、実際に、文系院卒は学部卒に対して、金銭面においては大変不利な生活を強いられています。
 今回はその実態について語ります。

 私自身も文系の院を修了し、大学で非常勤講師として講義をしています。
 給料は、一コマ90分あたり6000円。交通費などは自腹です。
 レジュメ制作に半日ほどかけていますから、単純に時給換算するとコンビニのアルバイトをしているのと同じか、それより低い給料で働いています。また、大学が僻地にあることから、電車代など往復で1000円ほどかかります。
 つまり、半ばボランティアとして講義をしているような感じです。
 研究者生活をしていると教歴が重要になりますから、その箔付けのためにやっています。
 もちろん講義に必要な書籍代などは自分で支払っています。
 院の研究など好きでやっているのだから、と言われればそれまでですが、割に合わない仕事だと感じています。

 知人の話に移りましょう。
 私の知人、仮にAとしておきます。Aは名門の中高一貫校を卒業した後、大学は東大受験に失敗し、慶応大の法学部に進みました。
 当時は2000年代、法学部では法科大学院進学がブームでした。東大受験に失敗した彼は、そのコンプレックスから抜け出せず、ふたたび東大の法科大学院を受験しました。けれどもまたも敗れ、中央大の法科大学院に進学しました。
 この頃、故郷の親が体を壊し、奨学金を借りるようになりました。
 法科大学院修了後、二回目の受験で司法試験に合格しました。学費さえままならないまま、伊藤塾などの司法試験予備校に通うあいだに借金はみるみるうちに膨れ上がっていきました。
 司法修習が終わったあと、Aは弁護士として働くことになりました。体を壊した親のため、田舎に帰って独立(即独)したのです。
 けれども、当時はすでに弁護士事務所の乱立時代で、ほとんど仕事はありません。年収も400万円ほどで、高校時代の同期の高い年収と自分を比較し、さらなるコンプレックスに悩まされることになります。借金も事務所開業費用を合わせて1000万円を超え、その返済をするのでやっとの暮らしが続いています。
 やがてAは鬱病を発症し、無気力な日々を送っています。後に残ったのは借金だけ。慶応大卒業時に新卒として就職したほうがどれだけ楽だったかと嘆いています。

 文系院卒の苦悩はこれだけではありません。40歳を超えても非常勤講師のまま、不安定な暮らしをされている方が山ほどいます。
 非常勤講師に就けたのはいい方で、博士号取得後、まったく関係ない肉体労働に就いている人間もいます。 Aの周りの法務博士たちも、司法試験不合格だった人々は行方不明、生きているかさえわからないと言います。
 暗い話が続きましたが、これも現代日本のひとつの側面なのです。
 文系において院に進学するのはハイリスク・ローリターンです。これが法科大学院の不人気、予備試験から司法試験を目指す人が増えている要因のひとつです。
 金銭的に余裕がないかぎり、学部新卒で就職しましょう。

2017年2月28日火曜日

トランプはなぜ田舎から来たのか

 アメリカで晴れて大統領になったトランプ氏、彼を支持したのは田舎の人たちでした。
 ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市圏ではクリントン氏が支持されました。
 なぜ、そのようなことが起きたのか、都市部と地方との格差、それ以上の、地方独特のディストピアを、東京から地方に移住してきた私は感じざるを得ない状況にあります。

 地方都市では、日本のものを例にしますが、大学に進学するとなると、地方国立大学か、それがだめなら私立大学と、行き先が限られています。
 そして就職するにも、収入の良い職業といえば、銀行、 インフラなど本当に限られたものなのです。
 マスコミ、地方紙も衰退し、薄給に苦しんでいます。もはや地方自治体を批判する余力はなく、なんとなく、今日はどこそこで祭りがあったといったほのぼのしたローカルな話題を載せるだけです。
 真綿で首を絞められるような、選択肢のない幸福な社会が、地方ではすでに実現されているのです。
 幅広い選択肢を求めるならば、都市部にいかざるを得ない。
 町内会や自治会で周りはみな顔見知り、たまに気晴らしに行くにもいつもと同じ店。
 コンビニも近くの一軒のみで、ましてや本屋なんて市内に数店舗しかない。
 こんなにネット上に情報があふれていても、それを探す術すらもたない。
 それでいて、なんとなく、みなで微笑みながら上辺だけの平和を築き上げている。

 私は都会でアウトサイダーとなり、その突破口として地方に移り住みました。
 けれども、なんてことはない、ディストピアはSF的な高層ビル群で生まれるのではない、地方都市ではすでに達成されたものだったのです。
 そして、その地方に住む人々がトランプ氏のような政治家を支持し、都市部にまでディストピアを広めようとしている。
 監獄のような、交通手段もろくに発達していない地方都市。東京を知っているとなおさら身にしみます。

 イベントに行っても、たとえ車で一時間ほどの距離があっても、出会うのは顔なじみばかり。
 Facebookが生み出した人と人とのブロック経済により、レイヤーが生まれ、先に述べた上辺だけの平和をつくる。 Facebookは仲間内の情報が世界全てだと近視眼的に思わせるシステムです。それが人口の少ない地方で盛んになると、いよいよ監獄が誕生します。

 私は悲観的すぎるでしょうか。そうであることを望みます。

2017年2月27日月曜日

学問のヒエラルキー

「法学部に来たみなさんは賢明だ」
 私は学部を法学部で過ごし、院を文学で修了した。
 二つの学問をまなんで感じたのが、学問の間にあるヒエラルキーだ。

「文学など意味がない」「法学は文学より尊い」
 法学部で過ごすうちに幾度も耳にした台詞だ。
 特に、裁判官や検察官出身の教授にこうした物言いをする人物が多かった。
 法学自体が権力志向な人々を引き寄せる学問だから仕方ない。
 医学部を頂点とした理系のヒエラルキーを語り、同じように法学部を文系学問の頂点に置く考え方をする人々が非常に多かったのだ。
 官僚も、司法も、法学部出身者がほとんどを占める。文学部出身者は出版社や新聞社などいわゆる外野的な部門に就職していく。
 法学部では、法学の理論は教えても、文学部の人たちが言うような、司法の不透明性だの、信用が置けない裁判官だのといった話は、法哲学の一部を除いて教えない。
 法学は尊い学問なのだから、裁判所は神聖な領域で、マスコミなんてゲスなやつらの言うことは聞く必要が無いのだ。
 表ではポリティカル・コレクトネスな振る舞いを求めても、そもそも学問の場で、このように階層化が起きているのは、堪ったものではない。
 実際に文学部の教授に聞いてみても、「法学は文学より上位の学問です」とする答えが返ってくることもあった。
 神学・法学・医学が「上級学部」であり、他は「一般教養」に過ぎないという旧来の考え方を踏襲しているのだ。
 確かに、西洋の、ヨーロッパの古い大学では神学・法学・医学の三つの学問が尊ばれた。けれども、そんな古い話をいまだにしていても何も始まらないではないか。
 そもそも大学教授自体、保守的な人物が多い職種なので仕方ないことかもしれない。

 文部科学省が法科大学院を認可することで、法学部出身者以外にも法律家の世界への門戸を開いた。けれどもその目論見は外れたのだ。法学部出身者以外のために設置したはずの未修者コースに、実際には法学部出身者が殺到した。それは法学という特殊な、専門的な学問を他学部の学生がなんだかとっつきにくいと考えたからかもしれない。
 実際、法科大学院の講義中に文学部出身の女性が、哲学やジェンダー学を引用しながら発言したことがあったが、検察官出身の教授はそれを一蹴した。
「そんなママゴトみたいなこと続けていては法学は身につきませんよ」
 哲学や、ジェンダー学は余程の説得力がなければ、法学の人間を頷かせられない。論理力の差というより、もともと男性が多い法学の分野において、特にジェンダー学は毛嫌いされる。
 もはや感覚的なものだが、そもそも判決というものが、自由心証主義という、裁判官の保障された内心の自由によって導き出される答えなのだから仕方ない。
 法学の人間はよく「社会通念上」という言葉を使いたがる。その人間が思う「一般常識」に照らして、物事を判断するのだ。その「一般常識」は表向きには中立的だが、世の中に絶対的に中立的な人間などいるはずがない、なんらかのバイアスがかかっている。
 その「一般常識」はそもそも法学畑の人間にしか共有できないものだろう。法学の人間はよくこんなことを言う。文学なんて偏った学問だ、と。
 それはある意味正しい。文学の院に進んで、私が進んだ場所が哲学寄りの場所だったせいもあるだろうが、法学的には非常識な発言も、面白いから採用される。法学は判例、すなわち過去の判決文を読み込んで結論を出す。その時点で既に保守的な学問である。それに対して、文学では今までなかったような新しい発想が尊重される。
 新しい発想が尊重される、というのは法学の分野でも、論文を書く上では重要かもしれない。けれども、法学部において人とあまりにも違う発想をする学者は、少数説といって蔑ろにされる。判例、通説、多数説、少数説の順に、考え方の重要度は決まる。

 いつにもまして散文的になった。申し訳ない。法学と文学の違いを短い文章であらわそうという試み自体が稚拙すぎた。
 私がここで言いたかったことは、高校時代まで同じ教室で学んできた文系の頭脳でさえ、大学にあがると全く考え方が異なる、そしてその異なる思考に優劣をつけたがる風潮に反対したかったのだ。文学はまだましで、美術なんてもっと異端な、宇宙人みたいなやつらだと法学の学生は考えている。
 そんな世の中で、美術家が、赤瀬川原平やろくでなし子のように、時に裁判にかけられ、的はずれな答弁をしていくことに、なんだか愉快な、おかしみを感じてしまう。
 文学や美術の世界で権威がある学者先生を参考人として呼んでも、法律家は法学の範囲内で粛々と裁くだけなのだ。
 文学や美術に理解がある法律家なんて、めったにいない。そもそも思考回路がちがうのだから、理解しようがない。
 法学は文学より上位にある、なんて言説は表に出るものではないが、学者たちの内面に潜んでいて、だからか、二つの学問は相互不可侵の領域をつくりたがる。
 理系学問が重要視され、人文学は蔑ろにされる、その理由は、同じ文系学問である法学の連中、特に官僚になった法学部出身者の中にある文学に対しての蔑視のせいかもしれない。

2017年2月21日火曜日

二丁目の思い出

 東京で過ごした10年間で、特に印象深かった場所はいくつもある。
 拠点を構えた多摩センターや代々木上原、足繁く通った表参道、 赤坂、六本木。
 中でも別府に帰郷する前に度々訪れたのが新宿二丁目だった。
 今回は、その二丁目の思い出を記そう。

 新宿二丁目にはphotographers' galleryという若手の写真家が集まるギャラリーがあって、画廊巡りが趣味だった僕にとって、そこに立ち寄ることが二丁目に足を踏み入れるきっかけになった。
 偶然、写真家の荒木経惟と遭遇したこともあった。 後進の作品をちゃんと見ているのだなと思ったものだ。

 次に二丁目に足を踏み入れたのは、いつものとんかつ、そう新宿ではとんかつを食べる頻度が高く、伊勢丹そばの王ろじや、伊勢丹の中にある匠庵でよく食べていたのだが、ちがったものが食べたいという友人のリクエストで行ってみた、いわゆるゲテモノ系の店だった。
 名前は忘れたが、豚の性器が食べられる店だった。あの体験は強烈な印象を残した。

 そして、二丁目といえばのゲイバーに初めて入ったのは、法科大学院の友人に連れられて、だった。初めて入った店は仲通りに面した観光客向けの店だったが、店員が福岡の市役所を辞めてゲイバーで働いていると聞いて、なんだか不思議な魅力を感じた。安定した職場を離れてもなお生きていく魅力がある街、極端にいえばそんなことを考えた。そしてその店員がインテリで、なんでも知っていたのも印象的だった。
 それからというもの、悪友と共に様々なゲイバーをまわったものだが、結局行き着いたのは、芸大出身のオペラ歌手がママをしている少し不思議な店だった。 
 六人も入れば満員になる狭い店だったが、薄暗い照明と、どこか淀んだ空気が好きだった。
 店に来る客も、大学教授や会社の社長など社会的に高い階層にいる人たち、そしていかにも悪そうな小気味の良い若者たちだった。
 覚醒剤をやってるんじゃないか、そんなラリった二十歳前後の青年が来て、いきなり服を脱ぎだし、乳首を出して弄るように催促してきたことがある。 それでもオジサンたちは喜んでその要求に応えてあげる。そんなアナーキーな、素晴らしい場所だった。
 ゲイのカップルが、別れただの、新しい彼氏を見つけたいだの、経験豊富な40代のママに相談し、バイトの青年が笑顔を振りまく。一緒にデュエットして、夜を明かす。
 正月にゲイバーに行った時には、ミックスバーで年越しパーティーがあって、ゲイもレズビアンもノンケもみんな混じって夢中で踊りまくった。一方で、行きつけのゲイバーでは着物で正装した常連客が厳かな雰囲気で入ってきて、年越しうどんをみんなで食べた。

 ゲイバーは火事になれば一瞬で灰になりそうな、とても古い建物の一室にあった。そんな儚さが好きだ。その下の階では、会員制のSMバーがあり、防音ドアがあつく空間を閉ざしていた。
 ママは、副都心線が新宿三丁目を通ったことで家賃があがり、地上げも起きていることを話していた。もしかして、二丁目自体が儚く消えてしまうかもしれない。 
 けれどもその砂上の楼閣で、北海道や九州から観光客が訪れ、また二丁目のマンションの住民たちが紛れ込んでくることもある。近所のガチという有名なつけ麺屋ではノンケのカップルが何食わぬ顔で麺をすすっている。
 こんなに混沌としていて、それでいて安全な場所を僕は知らない。歌舞伎町との間にも境界があり、またゲイバーのママたちは初見の客に「組合の人?」とたずねてさりげなく牽制する。ゲイ同士、レズビアン同士が節度を守って生きている。
 だからこそ、崩れそうな建物の中で毎晩酒を酌み交わすことができるのだろう。それにしても最高の街だった。

2017年2月6日月曜日

「永遠の命」展に寄せて

 結晶化された古の者たちの深い眠り
 永遠の命を封じ込めた物質に
 肉体を超越する精神の真価を知る―――

 書肆ゲンシシャでは、2017年2月から、終期未定で、「永遠の命」展を開催いたします。

 展示するものは「死後写真」。死の直後に、死者たちを撮影した、ダゲレオタイプを始めとする19世紀から20世紀初頭にかけての古写真です。
 主に、こうした写真はアメリカやヨーロッパで手がけられ、一回の撮影に時間を要することからも、草創期の写真館では死者の写真を撮影することが好まれ、化粧を施し、服を着せ、目を開かせることによって、まるで生きているかのように死者たちを捉えたのです。
 それは死の美化に繋がると共に、写真の中で死者に永遠の命を吹き込む作業でもありました。

 なぜこのような写真が流行したのか、ヴィクトリア朝の怪奇趣味、デスマスクの代わりとしての役割など様々な説はありますが、いまひとつはっきりしません。
 けれども、こうした写真は現代においても強度を保ち、人々の好奇心をそそるとともに、悲しみや寂しさを呼び起こすものです。

 現在、アメリカでトランプ氏が大統領になったり、欧州ではEUからの離脱が叫ばれるなど、まさしく、悪夢が具現化する時代に差し掛かっています。人々の不安や恐怖が現実になって襲い掛かってきているのです。
 この「永遠の命」展も、病院や火葬場で隠蔽された死を、今一度、白日のもとに晒す催しでもあります。 死は、多くの人々を不安にさせ、畏怖させます。そして誰しもが死からは逃れられない。
 現代の管理社会において隠蔽された死をもう一度前面に出す意味合いが今回の展示にはあるのです。

 大きな、たとえば恵比寿の写真美術館などでは未だ取り組まれていない今回の展示に対する関心の高さは、すでにあるSNS上の反響からも窺えます。

 世界的にはテロリズムが流行り、死が身近になったものの、日本ではそれがいまだ観念的なものでしかない。それを結晶化された物質である古写真を通して見てもらいたいのです。

 巖谷國士先生は、先の対談で、ネット上の画像ではなく、立体的な実物に触れることの大切さを繰り返し説かれていました。 みなさまにも、TwitterやFacebook、Instagram上の画像ではなく、ぜひ実物に触れていただきたい。
「別府は遠い」とのお言葉を繰り返し聞かされました。今後巡回する予定はいまだありません。ぜひこの機会に、ご高覧ください。
 幻を視る館、ゲンシシャにてみなさまのお越しをお待ちしております。

2017年1月23日月曜日

東京で見たい展示

 2017年1月下旬、一年ぶりに東京に行くことから、ぜひ行ってみたい展示をリストにして書き出してみることにした。東京在住時は、一ヶ月に三十箇所ほど美術館や画廊を巡ったものだが、その頃のことが思い出される。

・瑛九 東京国立近代美術館 ~2/12
・ナムジュン・パイク ワタリウム美術館 ~1/29
・粟津則雄 練馬区立美術館 ~2/12
・アン・コーリアー ラットホールギャラリー ~2/19
・ブラティスラヴァ世界絵本原画展 千葉市美術館 ~2/26
・篠山紀信 横浜美術館 ~2/28
・お笑い江戸名所 太田美術館 ~1/29
・岩佐又兵衛 出光美術館 ~2/5
・Star Tale KEN NAKAHASHI ~2/4
山本悍右 タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム ~2/18
・淺井裕介 ナディッフアパート ~2/5
・七宝 東京都庭園美術館 ~4/9
・クインテットⅢ 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 ~2/19
・ジャパニーズ・シュルレアリスト タカ・イシイギャラリー東京 ~2/4
・エリザベス・ペイトン 原美術館 ~5/7
・北島敬三 フォトグラファーズ・ギャラリー ~2/19
・ティツィアーノ 東京都美術館 ~4/2
・合田佐和子 みうらじろうギャラリー ~2/12
・1950年代の日本美術 神奈川県立近代美術館<葉山館> ~3/26

 本棚を見るとその人が分かるというように、観たい展示を書き連ねてみても、僕の趣味趣向が分かるかもしれない。
 みなさまの参考になれば幸いです。
 

2017年1月14日土曜日

別府

 今回は別府について書きます。
 他人の目を気にせずに突っ走ることが多い僕ですが、このブログでも同じことが起きていて、この別府という街に詳しくない人、まあそういう人がほとんどなわけですが、その人たちを置いてけぼりにしていることに気づきました。
 なので、今回は別府という街について概論のようなものを書きたい。では始めます。

 別府は移民文化の街とはよく言われたもので、古く、といっても別府の歴史は150年ほどしかないのですが、小倉に八幡製鉄所と言うものが出来まして、別府にも炭鉱に勤める、あるいは炭鉱を経営している大金持ちがいた。そういう人たちが遊郭であそんでいた。それが、別府の「起源」とされる浜脇の成り立ちです。
 この頃はまだ現在の別府駅のあたりは野原で、狸などが住まう平和な場所でした。浜脇というのは、別府の中でも大分に近い場所でして、海と山に囲まれた狭い地域でした。
 しかし、やがて炭鉱夫たちが居なくなると、衰退しはじめ、今では浜脇地域は再開発された新しいビルと古びた空き家が集まる下町、東京で言うところの北千住とかそのあたりの雰囲気を醸し出しています。

 それに対して、荘園や実相寺、新別府といった山の手の住宅街が、戦前に、田園調布を手本に作り出されました。荘園地区の中でも南荘園町は六角形の放射線状の道路を有し、その真中には地域の住民だけが入れる温泉があるという、まさに田園調布と似た景観をもっています。
 東京で言うところの世田谷区といったところでしょうか。

 それより古い、山の手の住宅街として、山の手町や青山町があります。こちらは福岡の麻生、そう、今の財務大臣の麻生氏、や、朝の連続テレビ小説で有名な柳原白蓮などの豪邸がかつては立ち並んでいたそうです。現在ではいずれも解体され、普通の住宅街になっていますが、別府駅にも近く、便利な地区になっています。東京で言うところの渋谷区といっていいでしょう。
 ゲンシシャが位置しているのもここです。

 さらに北側、すなわち浜脇とは反対側には亀川という地域がありまして、ここは隣町の日出町と関係が深い漁村でした。今ではニュータウンが建設されていて、郊外型住宅地の様相をみせています。東京で言うところの多摩です。

 そんな様々な街が、本当に狭い、山と海に囲まれた地域にあって、各々が各々の特性を持ち、混じり合わないところが別府の面白い性質なのです。
 荘園の人間はやい浜脇は遊郭で儲けたやつらが住むところだ、と言えば、浜脇は荘園のことを新興住宅街といって自分たちこそが本当の別府市民だと主張する。
 亀川は亀川で他の別府とはちがう独自の文化圏をつくり、別府駅周辺に行くことを亀川の人間は「別府に行く」と言うのです。

 さらに面白くしているのが、先に述べた移民文化の街である点で、たとえば荘園地区には大分市や大分県内の別の都市からの移住者が多く、亀川は日出町からの人間が多く、山の手町、青山町も別荘地だったわけですから、県外からの移住者が多い。もっとも古い浜脇ですら、遊郭で一儲けしてやろうと意図してやってきた隣県の愛媛や福岡の人間が多いのです。
 こうなると、もうごちゃまぜもいいところで、統一感なんてあったもんじゃありません。

 現代になってからは立命館アジア太平洋大学が山奥に建設され、その学生たち、半分以上が留学生なのですが、その方たちが別府市内に住み始める。 もはや国境すら越えてきているのです。

 さらに、このブログで前に述べた通り、別府は住居費や食費が安いものだから、その安さに惹かれてよそから人々が押し寄せます。近年はリタイアされた高齢者の方々が温泉付きの高層マンションに移住してきています。 そして、混浴温泉世界と名付けられた芸術祭を契機にアーティストの方々もどんどん集まってきて、夜な夜なパーティー、騒いでいるわけです。

 肝心の別府駅前について言い忘れましたが、観光客が訪れるこの地域は、古びた建物がたちならび、レトロ感を売りにしているさながら浅草のようなところです。 一応別府の中心市街地ですが、やや遠い所にゆめタウンという大型の商業施設ができ、トキハという地元の百貨店が衰退したことから、別府駅前ですがら寂れた地域になっています。風情があるといえば聞こえはいいですが。
 さらに、鉄輪地域に観光客が吸い取られるわけですから、ますます空洞化が著しい。鉄輪は新別府よりもさらに奥にあります。地獄めぐりの地獄があるのもここです。別府で一番栄えているのは鉄輪なのではないか。新しい建物も多い方だし。

 このように、別府といっても、まさしく多様性の街でして、場所によって、市民の考え方や感じ方もまるで異なります。こんな混沌とした街でワイワイやるのもわるくない。特に、別府駅前や浜脇は都会からの観光客にはエグゾティスム、異国情緒を感じさせるようです。別府といえば地獄めぐり、すなわち鉄輪地域を思い描く方も多いですが、奥深い街だということが少しでも伝わりましたら幸いです。