2017年5月7日日曜日

これからの時代、どんな本が売れるのか

 こんにちは。
 今回は、これからの時代、特に若い人たちにどのような本が売れるのか、私自身の本屋としての経験を踏まえて書きたいと思います。
 表題に掲げたような事柄は、商売として古本屋を経営している以上、常に気にかけています。
 すると、ある傾向が見えてきましたのでここにまとめておきます。

 当店では、荒木経惟、森山大道、細江英公、東松照明など、いわゆる日本写真史の大御所たちの稀覯本を扱っています。『センチメンタルな旅』や『薔薇刑』など。高価なものを取り揃えております。が、そうした本を目にしたお客様は口々にこう仰られます。
「こんな本がどうしてこんなにするの」
「こんな写真もう見飽きたわ」と。
 若い人だと特にその傾向は顕著です。そもそもアラーキー以外の写真家は名前自体を知らない方が多い。なので、こうこうこうした写真の歴史があって、こうした立ち位置にいるから、こうした良さがあるから高いのです、と応えると、「うーん」と唸ってしまうのです。
 昔からの古本マニアの方にとっては垂涎の品であっても、知識がない方にしては、どうして高いのか、わからないのです。
 これは絵画の分野でも言えて、竹内栖鳳だよ、横山大観だよ、高山辰雄だよと言ってもやはりみなさん唸ってしまいます。どこがいいのかわからない、と。

 それでは、そうしたお客様はどういった品をお求めなのか。
 簡単です。知識がいらない、わかりやすい品です。
 それこそ、死体の写真だったり、奇形の写真だったり、あるいは春画だったりするのです。そうした単純な見た目にインパクトがある品が、実際に売れていきます。
 たとえ高価でも、 「わかる」と頷かれて買われていくのです。
 芸術に関しても、狂人が描いた絵だとか、ヌードを艶やかに描いた絵だとかに惹かれるわけです。
 作家性というのはもはや価値がなく、見た目そのままの迫力に圧倒されるのが現代人なのです。

 いわゆるファインアートはみなさん最早見飽きているのです。そして、美術史や写真史の上で重要だとされてきた作品は、ただ唸ってしまうだけで、ワケワカランといって避けて行ってしまうのです。従来良いとされてきたようなものが、その良さを理解する人々がいなくなったことで、価値を喪失し、漂流しているような状態なのです。
 アウトサイダー・アートが近年流行っているのにも通じるかな、と思います。
 わかりやすい、前提として知識を必要としない作品が求められています。
 これこそ書肆ゲンシシャが掲げるエロ・グロ・ナンセンスの思想にも通じます。
 エロやグロといった直截的な表現がウケるのです。

 こうした現状を低俗だ、なんて憂う人もいるでしょう。
 けれども、現実問題として、高尚な作品を必要とするような人間は、ごく少数をのぞいて、もはやこの国には存在しない。政治の世界にポピュリズムが蔓延しているように、文化の面においても同様の現象が起きているのです。
 これから若者が年齢を重ねるにつれ、こうした傾向はますます顕著になっていくでしょう。その先に何が待っているのか、想像もつきませんが、そこは次回にまわすとして、 ひとまず今回は締めさせていただきます。