2017年12月2日土曜日

ゲンシシャが別府にある理由(夢想家として)

 ゲンシシャがなぜ別府にあるのか。
 その理由を、幻視者、あるいは夢想家として述べたいと思います。

 私はもともと中高時代を松山で過ごしていましたが、東京に行きたい、住んでみたいと思っていました。その理由は、ごく一般の、東京に対する憧れや、成功したいという思いからではなく、東京にいると、死ねると思ったからです。
 中高時代の、狭い寮生活で、私は心を病みながら過ごしていましたが、その時に見た幻視が、滅びゆく東京の光景でした。
 なぜかしら、東京が関東大震災、あるいは津波、もしくは外部からの攻撃によって滅びる、そんな強迫観念に取り憑かれていたのです。
 ですから、東京にいれば、刹那的な享楽に身を任せながら、滅びの中に突き進んでいける、そのような淡い期待がありました。
 とは言え、いざ上京生活が始まると、関東地方では、東日本大震災の前から小刻みな揺れが続いており、なるほど、この街は常に危険と隣り合わせにあることが身をもって実感できました。
 死を常に身近に意識しているからこそ、こんな風に生を謳歌できるのだろう。それが私が出した結論です。

 物質的にではなく、精神的にも、リーマン・ショックや、秋葉原通り魔事件など、東京にいると身近に、田舎ではありえないような凄惨な出来事が続き、テレビやネットを通さずとも肌身に感じられて、そうしている内に恐怖に慣れてくるのです。

 最初は歌舞伎町に入ることさえ怯えていた上京者の私でしたが、気づくと、東京の闇の部分が心と身体に浸透し、病みつきになっていくのが、自分でもわかりました。
 高田馬場や新宿で、豚の性器やウーパールーパーを食べながら、刺激が欲しくてたまらない、その衝動が強くなっていきました。

 そうこうしている内に起きた東日本大震災は、こう言ってはなんですが、私に強く生きる力を与えてくれたように感じます。今まで味わったことがないような刺激、テレビ画面を通して見る惨状、一変する日常。その中で爽快感すら覚えました。
  それに続く原発事故と、連なるように恐怖が身に降り掛かってきます。そうして、生きたいという強い希望と、どうせ死ぬからいいという刹那的な感情とが、内側に増幅されていったのです。

 それはやがて限界を迎えました。私は、病んでしまったのでしょうか、気がつくと死の強迫観念にますます支配されることになりました。原因はわからないものの、次の瞬間に死ぬのではないか、漠然とした、「ぼんやりとした不安」に駆られてしまったのです。そして、それに伴い、生への欲望も、なお一層強くなっていきました。

 今は、北朝鮮のミサイルという新たな脅威が生活を脅かしています。 きっと、東京に居続けた場合、私はその不安に耐えられなかったでしょう。
 今でも何らかのかたちで東京が滅びるという幻想が、私を支配しています。
 そして、廃墟となった東京を、ふたたび再興するために、別の場所に保管場所を作らなければならない。
 ゲンシシャは東京の文化をそのまま別府の地に持ってきたものです。

「生きたい」という欲望が、別府に私がいる理由です。おそらく東日本大震災以降、移住してきた多くの人もそれは同じなのだと、今では思います。
 生と死のバランスがとれ、強迫観念から解放される日のことを、祈りながら、けれども、その日が来ることを怯えつつ、今を過ごしています。